みなさん、こんにちは。
私たちの葛藤や苦しみや、様々な困難、あらゆる不幸はすべて自我に属しています。
真理から見ると幻想であり実在していないものに属します。
実在していないものから逃れるために私たちは奮闘し奔走しています。
お釈迦様の言う通り、生きる限り苦は追いかけてくるように見えます。
そう言葉にしてみると、あたかも死だけが安らかのようにも見えます。
どんなにすばらしい思想でも、この世が実在でこの世界を生とするなら対極には死が存在します。
それを真実とする限り、私たちは二元性から自由になることはできません。
二元性とは、良いものと悪いものはセットという見方です。
良を選ぶならもれなく悪が裏っかわに実在している、という見方です。
誰かが得たら、誰かが失う。
これは相対的世界であり、もしその世界に世界平和が成立したとしても、半分の人が犠牲になるか、すべての人が平和の裏側に犠牲を飲み込むというようなことになります。
それがわかるからか、私たちは本当にこの世を平和にしようとはしていません。
平和なんて窮屈で退屈で、そんなものは長続きしないとどこかで感じているに違いありません。
この世はどこまで行ってもこういう構造になっています。
そんなこの世にいったいどんな目的があるというのでしょうか。
だったらもう、好きに生きるしかないじゃん、と、思われるのが普通です。
だからこの世では、好きに生きることがもてはやされています。
でもこの世の前提が二元性なら、その望みはとても儚い夢です。
それが可能だという考えこそが、幻想だと言えます。
私は前世療法を長年にわたり数多く施術しましたが、それは言わば「死者の声を聴くこと」です。
セッションでは過去世の登場人物の人生を見せてもらい、亡くなる場面でその人の人生への所感を聞きます。
本当に満たされた人はほとんどいません。
そのことは、本当に満たされるとはなんなのかをとことん私に問いかけます。
本当に満たされるというのは、本当の目的を理解し受け入れることです。
本当の目的は、自分という存在を理解することなしには知り得ません。
それなしに何を得たとしても満足することはあり得ないのです。
好きに生きることは自由ではありません。
私たちが本質的に自由であることを知ることが自由なのであり、本質的に自由であるということは、すべての人が等しくそうであるということです。
すべての人が自由であるということは、二元の世界には起こりえません。
すべての人が等しく手に入れ、等しく拡大するという自由は、愛でしかありえないのです。
愛は二元の世界には属しません。
それはひとつであり、完全なものだからです。
真理は、死は存在していないと言います。
完全で愛であるなら当然そうです。
死者のささやきはすべて、自我が作り出す物語に依拠しています。
私たちは自由を勝ち取ろうとしますが、初めから持っている自由を無いものにしているのは自我です。
次こそは、この欠如を埋め合わせよう、勝ち取ろう、自分の力で達成しよう。
この意欲が死を存続させる源となっています。
私たちに真に求められるわずかな意欲とはただ、ほんものの真実に戻してください、と、自分自身の心に伝えることです。
自分自身の心だけが、完全なるものに創造された私だからです。
◎次回オンライン瞑想会は、2月18日㈰午前10時からです。
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感謝とともに
AZU拝