みなさん、こんにちは。
先日は「ヒプノセラピストのための講座」が始まったことに触れましたが、一昨日は別の受講者さんが「究極の意識の仕組みを学ぶ奇跡の講座」を卒業されました。
こういう学びをご一緒させていただけることは、あらゆる面で奇跡だと感じます。
私自身は奇跡のコースと2009年からお付き合いしています。
まる15年ですね。
でも2021年3月から講座を通してみなさんとご一緒に学ばせていただいてからの前進はそれ以前とは比べ物にならないと感じています。
講座の中で、アズさんみたいになる(癒される)にはどれくらいかかるでしょうか。本当になれるんでしょうか。とおっしゃっていただきますが、そんなのは当たり前ですし、皆さんにとって朝飯前です。
だってみなさんは既にそれに導かれ、選んでいるんですから。
自分は人生のほとんどを自分を癒すことに費やしてきました。
そして自分を癒すこと以外になすべきことはないんだということを受け入れました。
かつての自分にとって癒しは、社会で人並みに機能できる自分というのが目的でした。
そして社会においての自分の目的は、役者として持続可能な生活を手に入れることでした。
それは夢とか呼ばれるような浮かれたものではなく、死活問題であり、自分の存在意義と直結したものでした。
なぜなら私の家庭ではそれは家業であり、親戚など含めて職業的な表現者は多く、自分にとっては他の職業に比べて馴染み深く極めて現実的な可能性ある選択であったからです。
そして実際にその道を歩み始めてみると、自分の内にある無形の潜在能力があるべき姿で引き出されてくるのを感じないわけにはいきませんでした。
手ごたえがあり、確信がある、という感覚です。
でもとにかく、私はそういう道には呼ばれず、こちらのほうに呼ばれました。
そして今になればその道筋に完璧に同意でき、共感でき、感謝できます。
聖霊よ、よくやってくれた。
私が本当に望んでいたのはこれだったよ。
そして自分の歩んできた道からそのエッセンスを要約し、自分の躓いたでこぼこ箇所をチェックし、できるだけ近道を優しくご案内できるよう、日々意識を注いでいます。
何度も言いますが、真理はシンプルです。
私のような紆余曲折は、真理には存在していません。
真理は無限の愛であり、真理が照らすのはどこまでも完全で安全で美しい道です。
奇跡講座にもありますが、神の教師とは、生徒の少し前を歩き、躓きそうなところをよけられるよう、自ら歩む人です。
講座を受けてくださるみなさんは、矛盾と欺瞞に満ちたこの世界の困難な道にどれだけ罠がたくさん仕掛けてあり、それがどれだけ巧みに私たちに誤解を与えてからめとろうとするかを確かめるべく生きていらした方がほとんどのように思います。
なぜ自分ばかりがこんな苦しい、悲しい思いをするの?
なにがいけなかったの?
どんな重い罪を犯したの?
いったいどうしたらこれから逃れられるの?
そんな心の声を聴かなかった方はいないのではないでしょうか。
私はそんな自分の声に溺れるほどでした。
でもそれは、かつて自分が作った世界だから、その世界を終えることもできる。
そして、その世界はほとんど実在性を欠いた、吹けば飛んでしまうようなはりぼてである。
真理はそう教えます。
私たちの世界では、自分で作ったということは自分の罪であり責任だからその結果を負いなさい、それが贖いだと教えます。
しかし神は、あなたが作ったと信じているそれは、私が作っていないがゆえに実在していないと教えます。
あなたが取り消しを申し出さえすればそれは叶えられると。
それが赦しです。
癒しは赦しなしには決して起こりえません。
これまでにどれだけ努力したか、時間とお金をつぎ込んだか、有能で高名なセラピストを訪ねたかも関係ありません。
赦しがもたらすものを体験していない人には、癒しはわかりません。
赦しは自分の意図と、真の自己によってなされます。
体験者としてそれを分かち合える人だけが本当の手助けができます。
自分の能力が癒すと思っているセラピストは、結局は何もしていません。
これは本当に真実です。
どうかみなさんが、本当の援助者に導かれますように。
瞑想会では毎回のように「完璧な」導きを体験させていただき、本当に幸せに思います。
次回は次の日曜日、
3月17日㈰午前10時から、zoomにて行います。
お時間をいただけましたら幸いです。
瞑想のすばらしさは数え切れませんが、とりわけ、真理を求めていらっしゃる方にとっては「心がつながっている」という体験があげられます。
奇跡講座ではレッスン18「私の見方がもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。」に述べられている通りです。
量子論が言うように私たちの意識がこの世界を創造するのであれば、私たちはただ、真の自己の光をそこに見るだけです。
それをなぜわざわざ、自我の目的を過去の記憶から引っ張り出してそこに投影しなければならないのでしょう。
「なぜかどこかで、自分の利害を他者の利害から離れたものとは見なさないという意図的な選択」(奇跡講座マニュアル編1-1)をすることへ、すべてのきょうだいが導かれますように。
ちなみに「究極の意識の仕組みを学ぶ奇跡の講座」は、何周にもわたって受けていただくことが可能です。
最多で7週目に入られている方もいらっしゃいますが、本当にいつも確実にテーマが与えられると感じています。
「二人の人が心をひとつに目的に向かえば神が介在する」ということです。
感謝とともに
AZU拝