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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

承認欲求と自己受容

生き物の根源的欲求は食欲性欲睡眠欲、と言われています。

では人に限定した場合は?それは承認欲求、と言われます。

すべての人が、おとなであれ子供であれ、胎児であれ(催眠で退行するとそれがよくわかりますが)確かに確固たるわけあってそれをしています。

 

そして、人間の心の問題はその欲求が満たされないときに起こります。

同じ意味で愛情不足とも表現されますが、承認のほうがより正確かと思います。

すべての対人関係に愛情が求められているわけではないですから。でも、承認は求められています。

コミュニケーションが良好かどうかは双方がその欲求を満たしあっているかで判断されています。

どちらかに不全感があればそれは分断されていることになります。

 

私は心のセラピストですが、「理解されない」「わかってくれない」という訴えは非常に多いです。

私もかつてそうでした。

(いえ、今でも心情としては同じです。ただその欲求とのつきあいは非常に変化しました。)

それは存在にかかわる根源的な問題なのです。承認されていないというのが人特有の悩みの根源です。

 

人として進化すればするほど、つまり精神が細やかに発達するほどに、人は承認されているかどうかが気になるようになり、承認されるために工夫するようになります。

 

先日「あしたの私のつくり方」という映画を見たのですが、このことがものすごくわかりやすく(かわいらしく)描かれていました。

学校という集団の中でいかに承認されて生きるかという工夫を凝らして成功しても、結局それは本当の私じゃない、じゃあ本当の私って?という青春映画なのですが、生き辛さを感じたことのある人なら思わず泣けてしまう映画じゃないかと思います。私はぼろ泣きでした。

 

結局のところ、他者からの承認を求め続ける生き方は満たされることを知りません。

自分を満たすのは自分自身のからの承認だよ、というのがインナーチャイルドワークです。

さらに本当は神様があなたのすべてを承認しているんだよ、ということを知るのが瞑想でありスピリチュアルの根幹です。

 

人間が自分を肉体だと信じている間は、承認を他者に求めざるを得ません。

 

でも人間とは意識というエネルギーの存在だということがわかると、まずは自分が自分を承認できれば他者との認め合いは可能なんだとわかります。

 

さらに自分の内側に神様がともにいるのだとわかると、自分の中の見たくないところ、認めたくないところを含めて認めることが可能になってきます。

 

実際のところ、その認めたくないところをも認め、感じ切ってみることこそが、自分に自由と解放をもたらすのです。

癒しとはその、自由をもたらす解放のことです。

 

癒しも自由も解放も、内側に神がいてこそ本質的に可能になるということだと私は思います。

 

私が学んだカウンセリングは渡辺康麿先生が考案した「セルフカウンセリング」というものです。

この学びは本当にすばらしいものでした。

 

私たちが感じていることから逃げずにあるがままを感じる(表現する)ことで自己認識(気づき)が起こり、自己理解が起こり、自己発見が起こり、自己受容が起こるというわけです。

超越的受容、と説明されています。無条件の愛、つまり神ですね。

そして他者をカウンセリングすることは、セルフカウンセリングによる変容を体験したことによって可能になります。

 

これが摂理、仕組みなのです。

セルフカウンセリングでは、神という概念を使わずにこの摂理が紐解かれています。

それこそまさに神、です。

 

敏感な人、聡明な人ほど「理由づけ」「意味づけ」が好きだったり、他者か自分か双方を裁くことが得意だったりするのは実は、立ち止まって感じてみることを避けるための対処です。

 

自分の内面に直面せずに回避を続けることが、私たちを本当の自分から遠ざけています。

しかし問題を解決できるのは本当の自分だけです。

 

現実とスピリチュアルの境目などありません。それを作っているのは人の思考です。

スピリチュアルは超リアリズムです。

この世の真実とはほんものの仕組みのことであり、スピリットありきというのが真実なのですから。

we are the lights

もし今の自分より別のなにものかになりたくて

でも何をすればいいかわからないときは

「きみがひかりになればいい」。

 

なにがしたいか、なにができるか、なんて考えなくていい。

自分がしてほしいと思うことをすればいい。

本当に誰かにしてほしいことなんてそう多くはない。

 

見ていてほしい、わかってほしい、だいじょうぶだって言ってほしい。

愛してほしい、求めてほしい、すばらしいと言ってほしい。

 

自分が本当はなにを求めているのかわかったら

それをやってみればいい。自分や、他人に。

 

どんなことも、仕事の成功も、人の気持ちがわかるとできる。

人の気持ちは自分をわかればわかる。

自分が難しいときは、人の気持ちをわかるようにがんばるといい。

そうすると、自分がだんだんわかってくる。

 

世界は全部、気持ちでできている。

みんな求めているのはだいたい同じ。

だから本当はわかりあうのは難しくない。

 

 

↓最近の大ヒット。ヘッドホンでどうぞ。

 

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光を求めてばかりで
人に照らされてばかりで
1人じゃ何もできなくて
だけど素直になれなくて
今の自分に嫌気がさして
どうしても自分を愛せなくて
人は光を求めて生きてる
忘れかけてたこと

We are the lights
誰かが道に迷ったら

We are the lights
足元を照らせるように
僕が光になればいい

You gotta show your lights
You gotta show your lights

 

何が大切かわからない
どこに行けばいいかもわからない
僕の世界は偽りだらけ
テレビもニュースもレディオも
事実を並べて真実はどこ
暗闇を照らす光を探してたんだ
自分を信じることもせずに
誰かに頼ってばかりで
自らの輝きは消え失せた
忘れちゃいけないこと

We are the lights
誰かが道に迷ったら
We are the lights

足元を照らせるように
君が光になればいい

You gotta show your lights
You gotta show your lights

We are the lights
誰かが道に迷ったら
We are the lights

足元を照らせるように
僕が光になればいい
君が光になればいい

We are the lights
We are the lights

 

光を求めてばかりで
人に照らされてばかりで
1人じゃ何もできなくて
だけど素直になれなくて
今の自分に嫌気がさして
どうしても自分を愛せなくて
人は光を求めて生きてる
忘れかけてたこと

We are the lights

 

 

ReN   『lights』

究極のいやし

僕の中のちいさな僕が

「どうして誰も助けてくれないんだろう」

と言う。

 

その僕の心は?

 

「助けてほしい」って?

 

どんな気持ち?

「いやな感じ。」

 

どんなふうに?

「落ち着かない」

 

「イライラする」

「疲れてる」

「絶望的」

 

それから?

「こわい」

「怒ってる」

 

ほかには?

「さびしい」

 

なにがつらい?

「なにもできない」

 

それから?

「動けない」

 

どうしたい?

「わからない」

 

どうしてほしい?

「たすけてほしい」

 

 

あなたの中にこんな僕はいますか?

 

彼の声はほとんど無理な要求。

正しい答えはなく

なにがしたいのかも

なにをしてほしいのかもわからない。

 

そして出口がみつからないことが多すぎて

どこにも行けずにいる。

 

どうしたら安心するのかもわからない。

「だって、安心したことなんてないから」

 

 

だからきっと、みんな彼を見ないふりする。

自分の中にいても

彼をみつけたくない。

みつけたって、なんにもできないじゃないか。

そんな僕にどうやって安心させてあげられるのか。

 

なにを与えたってなにを取り除いてあげたって

きっと彼は満足しないだろう。

 

彼に寄り添うってどういうことなんだろう。

助けるってなんだろう。

 

 

それはたぶん、彼が自分の足で歩いていることを

見ていてあげることなんだろうと、私は思う。

 

赤ちゃんのとき、初めて歩いたとき、

お父さんやお母さんが感嘆の声を上げ

心の底からの笑顔を見せてくれたその感触を

その子がもし体験しそこなったなら

 

おとなになった自分が

もう一度見守ってあげればいい。

ちいさな僕が自分から歩きたくなるまで。

 

そして歩いていることに気づけるまで。

 

しばらくして振り返ると

こんなに歩いてきたんだと

そこで初めて

歩いてきた自分を感じることができるようになるまで。

 

自分には、できる。

生きることが。

 

自分で決めて、自分がやっている。

そう気づくことだ。

 

誰かに傷つけられたんじゃなくて

自分が傷ついたんだ。

傷ついて、いいんだ。

人は傷つく。

 

その痛みを

復讐することにも愛することにも使える。

 

そうやって、選んで、感じて、歩むことなんだ。

 

どうしようもないほど傷ついたこどもが

本当に回復するというのは

きっとそういうふうに歩むことなんだろうと思う。

 

それが自分を思い出すということだ。


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