みなさん、こんにちは。
石油ストーブにあたりコーヒーをすすりながらお送りしています。
雨模様の信州諏訪・岡谷市です。
今日はちょっと、しあわせ信州レポートを書いてみようと思います。
自宅兼店舗の我が家は、徒歩で諏訪湖まで30分、駅まで25分の位置にあります。
普段は車で移動です。
私は運転ができないので移動はいつでも夫と一緒です。
2017年に諏訪大社に詣でたくて旅行したのが出会いです。
引っ越してきたのは2022年6月。
まもなく2年になろうとしています。
あっという間。
本当に人生はあっという間です。
沖縄の13年半がひとかたまりの一瞬と感じられるほどです。
このことは初めて書きますが、私の父は遺伝子上の父を知りません。
ということは私も、血筋というものをたどることができません。
多分信州の、どこかのおうちにルーツがあります。
父は大人になり私の弟が生まれるまでそのことを知らずに育ちました。
父は生い立ちが不幸だったわけではありません。
自分の母方の祖父母を実の両親だと思って育ったのです。
そしてその両親から溺愛されていたといつも話していて、自分も両親を溺愛していました。
晩年私は父に「お父さん、まだ実のお父さんのこと気になる?寂しい?」と尋ねたことがあります。
父は「もうまったく気にならない。」と、にこやかに言いました。
ああ、こうやって聡明な人は人知れず乗り越えていくんだな、と思いました。
諏訪に来たのは、父が亡くなっていろいろあり、約3年かかっていろいろが片付いたというタイミングでした。
夫の風間家はルーツをたどると諏訪大社に行き着くというのを、夫のお友達が教えてくれたのをおもしろく思い、じゃあせっかくだからという感じで目的地を選んだ感じです。
特にこだわりもなく、ただ神社仏閣好きな私たちなので、ご縁もありそうだし、という感じでした。
沖縄をなぜ離れたのか、という明確な理由はありません。
知念村におうちを買った時、まさかそこを離れるとは思いませんでした。もちろん。
沖縄でも一番好きな南城市知念の、久高島がうっすらと見える海を真正面に小高い斜面にたたずむ設計士さんが建てた自宅兼仕事場のコンクリート打ちっぱなしのデザイナーズハウスに住み、仕事も奇跡的にうまくいっていて、裏の藪で出会ったおかあさん(琉球犬ミックス)と暮らす、奇跡的なしあわせ家族を育むことができていました。
なにも持たず、ただ心を運んで、皆さんに受け入れていただけたことだけが、それを与えてくれたと思います。
本当に心だけでできるんだということを沖縄が教え、証ししてくれました。
先日、奈良井宿を訪れました。
言わずと知れたというのか認知度を知らないのですが、私の中では木曽路は長年のあこがれでもありました。
まさに沖縄からの引っ越しのその時まで、子供の頃に買ってもらった絵葉書を持っていたのです。
写真ではなく鉛筆画の、格子窓のある古民家の絵葉書の束。
自宅から45分で行けるのですが、そこに至るまでの場所を往復して足場を確かめて、ようやく行けたような感じがしています。
江戸から京の都までを運ぶ道、中山道のちょうど真ん中の宿場、そして日本で最長1キロにわたる江戸の町が残っています。
何がすごいかというと、そこには代々住んでいる方々が、普通に暮らしています。
細い路地(沖縄ではすーじぐぁーという)の散策が大好きな私たち。
入ってよさそうな横道を入っていくと、向こうからご高齢のおとうさんが歩いてきました。
すれ違えるかな、というくらいの道で、ご迷惑をかけないようによけていると私の前で立ち止まり、ひとなつっこい笑顔で「どこからきた?」とおっしゃったのです。
「諏訪からです。」
「ああ、諏訪大社行って温泉入って、ウナギ食べたことあるら。」
それから一気にゆんたく(おしゃべり)です。
なぜそうなったのかよくわからないのですが、おとうさんの年齢、過去のご職業(今は年金暮らし)、家族構成、今現在のご家族の問題まで、こちらからは訪ねていないのに教えていただきました。
それから私が知りたかったこと、例えば日々のごはんのお買い物はどうしているのか、なども教えていただけました。
あまりにすごいところなので人里離れたように感じてしまいますが、運転できる人はマイカーで塩尻の中心街まで行かれるそうです。
昔は魚屋なんかが何軒かあったけど、高齢でやめてしまって今はない、とのこと。
車がない人は、100円のバスがあるからそれで買い物に行ける。
観光客でも誰でも乗れるら、とのことです。
ら、というのです。使い方間違っているかもですが、ごめんなさい。
かわいいのです。
おとうさんはブルックスのコーヒーを通販で買われてその支払いに郵便局に行かれたところでした。
そういう暮らしぶりにも触れさせていただけてめっちゃ楽しくなってしまいました。
ひとしきり歩き、私の股関節がそろそろ限界だよと言い始めた頃、ほとんど店じまいしていた中で一軒だけまだ看板が出ているお茶屋さんがありました。
メニューを眺め、なんとなくコーヒーに思いのある雰囲気が伝わってきます。
入ろうとすると、傍らでお隣さんとゆんたくされていたご婦人がどうぞどうぞ、と案内してくれました。
お店の方だったようです。
そこでもまた、あらゆる「聞きたいお話」を、次から次へと伺うことができました。
そのおかあさんは、地方からお嫁にいらした方だそう。
つまりよそから目線の私たちの興味のツボがわかるみたい。
お店は築180年の元櫛問屋さんです。
黒光りする梁とまっ白い漆喰の日本家屋がそもそも好きなのですが、古いものを維持するのは手間も費用も大変なのだろうと常々思っていたのです。
ところが「全然。」とのことなんです。
ほとんど、そのまま、ということでした。
窓の格子や軒は少し直したけど、柱も天井も壁も、まんまだそう。
江戸のお侍や町ゆく人々の手が触れた柱や壁。
ああなんてすごいんだろう。
近代のおうちは一代しか持たないというのに。
他にも1602年からという建物もありました。
このころの日本がやはり一番美しかったかも、と、どうしても思えて仕方ありません。
そのあたりは地震も少ないとのことです。
水は豊富で公共の水場がたくさんあり、水道もその井戸から引いているそう。
確かにお水、おいしい。いいなあ。
松屋茶房さん
岡谷は古くからの工業地帯なので、一時期水源が汚れてしまったそうです。
諏訪湖は31の河川から水が流入していますが、本当に川がきれいです。
でも湖は地元の方曰く臭くて汚い池、だそう。
諏訪地域の発展のための意見を求められたら「諏訪湖の水がきれいになるといい」と答えたいと思います。
沖縄では海があんなにきれいなのに、川はだいたい汚れていました。
最初糸満市に住んで、報得川の水が日本で二番目に汚いと聞いて驚きました。
なので沖縄の未来のためには「川の水がきれいだといいな」と思っていました。
私は東京都狛江市、多摩川のほとり育ちなのですが、子供の頃多摩川は臭くて汚くてしかも危ない水でした。汚染されすぎていたのです。
ところが大人になる頃には鮎が戻ってくる川になっていました。
私の友人とそのこどもたちは、まさに私が育ったその河原で自主保育をして、いつでもばしゃばしゃ泳いでいました。
そのために尽力された人々のおかげなのですが、でも、多くの人がそう願ったのでなければそうはならなかっただろうと思います。
願いは心でつながり伝わって、誰かの手足を使って叶えられるのだと思います。
それまで思いを馳せて湧き上がったいろいろな疑問がすっかり解けて、しばらく時差ぼけのようでした。
鉄道が制定されてから徐々に廃れていった宿場だそうですが、これを残して、そして暮らしている人の思いを伺えたことがものすごい体験でした。
一番の贅沢は人とのつながり、コミュニケーションだなあと思います。
また時々レポートします。
感謝とともに
AZU拝
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