先月から裏のベランダにイソヒヨドリのぴーちゃんが巣を作り、 青い卵を4つ産み、数日後にもういっこ産み、 あっためてあっためて、時々ご飯を食べにでかけて またあっためて、 5羽のひなが孵り、 こんどはご飯を運び、運び、食べさせ食べさせ育てた。
途中、大きなハエが巣の周りをぶんぶん飛ぶのをみつけて 悲しいけれどだめだと悟り、死んだ1羽を巣から取り出して埋葬した。 これは私たちの都合で。 私たちの生活圏で、虫が異常発生しないために そうさせてもらった。
残りの妖怪そのものの姿だったひなたちは あっという間に羽が生え、 昨日はいよいよ飛ぶ練習! 朝から母ぴーちゃん、つきっきりでコーチ。
セッション中、窓に当たってどすん、がさがさ。 落ちたのか、飛んだのか。 どうやら1羽を除いて巣立った。
一度巣立つと戻らないものなのかもよくわからない。 母ぴーちゃんはまだ、えさを運ぶ。 大きな虫をくわえては連れてくる。
夕方になっておかあさん(犬)の散歩に夫が出ると なんとぴーのひなはガレージにいて、 おかあさん(犬)は、獲物だとばかりに追いかけまわし やっつけようとしたらしい。 前足の爪と牙で襲った。
おかあさんも野生育ちなので 獲物を見ると本能が叫ぶ。
片手でぴーを救出、片手でおかあさんを制し 必死の夫。
子ぴーたちはうちの周りでぴょんぴょん。 母ぴーはぐるぐる巡回。
ろくに飛べないのに巣を離れて、 これじゃあネコかハブに食われるに決まってるじゃないか。
こうやって、生き物はみなサバイバルしている。
ぴーちゃんの子育てぶり 本当にすさまじかった。 無力だろうに。
夫が「母性本能の鬼」と言ったが本当だ。
SNSにシェアしているので、 そこではほのぼの話のように伝わっているかもしれないが 本当のことを言って、楽しい半面、しんどさもある。 生きることの過酷さをいつも突き付けられるから。 母鳥含め、何度死んだかと思い その度、悲しいかな、そのあとの処理まで考えなくてはならない。 それが人間の性。
今朝になっておかあさん(犬)の散歩から戻った夫が 気落ちした感じで言った。 「ぴーの子供、そこで車にひかれてた。」
人間だったか。
あの子たちはよく車道に出るんだ。 大人になってもそういえばよくやってる。
「このぶんじゃ、全滅だな。」
夫が言う。 どうだろう。 5つのたまごから、どれだけ生き残るんだろう。
母のぴーちゃんが私のいる窓辺まで来て 久しぶりにきれいな声で鳴いた。
がんばったね。
こんな小さな頭と体しか持たない鳥から どうしてこんなにすさまじいパワーとメッセージが伝わってくるんだろう。
全力でアンテナを張り巡らせて子供を育てよう、守ろうとする。
命を、生かそうと。
私たちはこの出産と育児とに関わって 何度か命を意図的に助けた。 普通だったら死んじゃうんだろうな、と思いつつ 自分のエゴで介入した。
でも鳥はただ、生きようとして生き、 図らずも死んでしまう。
人間だけが、予測し、避ける選択をする。
意図的に命を生かし、同じ手で奪い、 生きることの質を考える。 想像し、創造をする。
神は母性本能を、命を生かすため、生き物に与えた。 鳥も人間もあまり変わらないんだ、と(失礼かもしれないが) 痛感した。
人間のエゴは使い方次第で命を奪い また命を助ける。 そういう能力を持ってしまったのだ。
私たちには責任がある。 そういう、生き物であることへの。
私たちは人間である以上、 地球のリーダーにならなくてはならない。
そういう能力を預かったからだ。
人間の男も女も、本能に満足しないでほしい。 本能に支配されることをあきらめないでほしい。
人間に起こる根源的な問題の根が いつもそこにあることに気づいて欲しい。
人間関係、家族の問題、社会問題、環境問題、恋愛問題、 アダルトチャイルド、インナーチャイルド、毒親と呼ばれる現象、 付随して起こる病のすべて。
それらの関係に私は気づいた。 すべてと言わないが、出来得る限り、解明し、合点がいっている。
子供と動物の無邪気さは 知らないから、というだけだ。
知ったおとなが自分を尊重できないあいだは 人間の成長は止まっている。
知ったうえで、汚れたうえで、それらを背負ったうえで、 私たちは前進しなくてはならない。
それは先延ばしにすることはできても 消し去ることはできない。 なぜならそれが、人間の本分だから。
自己の中の創造者を真の主体者に戻すことだ。 本能ではなく。思考でもなく。
その両者を従者に置き、自己の中心に戻ることだ。