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琥珀に封じ込められた夢。

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[caption id="attachment_2764" align="aligncenter" width="225"]今年は少し咲いています。デイゴです。 今年は少し咲いています。デイゴです。[/caption]

前回のブログに美輪さんや江上さんこのことを書いたら、先週我が家に遊びに来てくれたアンチエイジングの鬼こと勝田小百合ちゃんが、ちょうど同時期美輪さんの舞台に出ていたということを教えてくれた。江上さんはじめ、共演していた数人の役者さんが出ていたので観に行った『葵の上・卒塔婆小町』の初演に出ていたそうでびっくりした。その時まだ私たちは出会う前だったが、どの女優さんだったかもちゃんと思い出すことができた。まさに縁の糸はここにも張り巡らされていたというわけだ。20年近く前のことになる。

私が出ていた江上さんプロデュースの舞台では、私はなんといっても高橋広樹と仲良しでいつもべったりとくっついていた。なぜなのかよくわからないし、本当に公演の期間だけのことだ。彼も確か江上さんのクラスの出身で駆け出しのまだ所属も決まらない純な男の子だった。テレビを見ないので、彼が声優として活躍しているのをネットで知ったのは割と最近のことだ。mixiで『アズさん高橋広樹さんと知り合いなんですか?すご~い!』なんて言われて驚いた。

演出なさったのはドラマの名監督の故・土屋統吾郎氏でとても可愛がってくださった。監督は私と広樹くんを「あの2人は愛し合ってるな」と言ってみたり、私の相手役だった方と私を「昔のショーケンと桃井みたい」とおっしゃったりして面白がってくださったように思う。広樹くんは当時ミュージカルが好きで、私にミス・サイゴンの全曲と彼の選曲したミュージカルナンバーがB面に入った90分テープ2本組をプレセントしてくれたりした。おかげで私は今も『ひとりミス・サイゴン』ができる。

ちなみにこの舞台を観に来てくださった美輪さんは後に江上さんに対して『あの晶子を演った子(私のこと)、ジャンジャンで私に「よくわかりました」って言った子ね。私なら晶子をこう演るわ』って結構真剣にお話になったそうだ。「美輪さんがあんなふうに言うこと滅多にないよ。」と、興奮気味に江上さんが教えてくれたのも感慨深い思い出だ。(そうなんだ。私はジャンジャンの美輪さんのライブのあと、楽屋で握手してもらいながら「よく、わかりました」と言ったのだった。)

この頃のこういう昔話を思い出すのは当時の未熟な自分の記憶とセットだから冷や汗ものだ。本当は面白い話が山のようにあるのだがなかなか書く気になれない。20年なんて本当にあっという間で、傷とは言わずとも当時の生々しい記憶の肌触りというのはなかなか風化しないものだと思う。みんな見えない未来に向かって手探りだし役者というのは向こうから吹いてくる風を棘のように身体に刻むのが仕事のようなものだ。刺さる棘を紡いで物語を語るのだ。そんな人達が何十人集まってむき出すものを持ち寄って芝居を作るのだから、何十年もうなされる夢のようなものの澱がからだのどこかに残るのは当たり前だ。それをも私たちは笑って話せるようになるけれど、笑って話せるのとその澱が風化するかはまた別の話だ。奇しくもこの芝居のタイトルは『琥珀の夢』という。当時決して成功とは言えなかった舞台だと思うが、私の中ではなんとなくあの記憶こそが琥珀の夢だ。ある次元でなにかしらの真実を紡いだのかもしれない。

今のように潜在意識というものを探求する以前、演劇ばかりをやっていた時代から、私は芝居を『潜在意識の紡ぐ夢』だと定義していた。芝居を観に行って、面白いと思うかどうかというボーダーラインは、潜在意識に届くか届かないかの違いだと思う。芝居はストーリーではなく、その場のエネルギーを紡ぎ、そして客席を波立たせ、そして同調させる。舞台はある波動を作り出し、高いエネルギーで客席を引き上げるのが仕事だと思っていた。それはとても僭越で烏滸がましい行為なのだ。だからこそ役者は謙虚に稽古を繰り返し、自己のエゴを神に献上して役に降りてきてもらう。古来演劇は神に捧げるものであり劇場には神の座席を作った。芸術が観客のニーズに応えるためにあるのではない理由もそこにある。神の遊びの中で潜在意識の記憶を発動し浄化し気づきと奇跡をもたらすのがその役目である。


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