以前の記事に、映画『ああ野麦峠』のことをちらっと書いたのですが、そのせいなのか(?)YouTubeのおすすめ動画に『ああ野麦峠 完全版』が出てきました。
あの頃はきっと、金曜ロードショーかなにかで放映されたのを見たのではないかと思います。
1979年の作品。私、12歳。
今回は夫と一緒に観ました。
これを観た当時、私もこうなりたい、というか、わたしこれだ、と思ったほどなのです。
政井みねという役と大竹しのぶを両方合わせて新工(新人工女)の年頃の私はそんな風に感じました。
役者さんたちみんな力あります。
シーンのすべてが生きていて、惜しみないテンポで押し寄せてきます。
調べてみると劇団民藝で舞台公演されていて、民藝の役者さんも多数出ている。
山本薩夫監督についても改めて知り、考えました。
あんなにも強烈に心に焼き付いていたのも、見返してみて頷けました。
一方子ども心に感じた張り裂けるような悲しさとは違うものを今回はたくさんみつけました。
それはこんなことです。
どんな世界にもどんな立場にも、すべてには二極があります。
二極とは相反する、対立するものであり、対立の焦点は切り口が変わればどんどん移り変わっていきます。
戦争で勝ったという場面では、みんなが一体になってばんざーいと喜び、雇用者と被雇用者は一体となっていて、そこには喜びがあります。
けれどこの一体性は全一ではありません。
この時は敵国と対立しているので、雇用者と被雇用者はたまたま一体なのです。
景気が低迷すればその一体感は消え去り、雇用者と被雇用者の対立は緊張を極めます。
この映画にはいろいろな切り口でミクロとマクロにおけるあらゆるの対立が細かく描かれていました。
良い作品というのはそういうものなのだと思うのです。
この世界は、ミクロからマクロまで、どこまでも対立しています。
そうであるが故にこの世界の構造は変わりようがありません。
対立の一方に加担した見方をしている限りは、その緊張から自由になることは不可能なのです。
対極のある世界に恒久的な平和、平安がないと言われるのはこのことです。
この世界には、私たちみんなの意識、自己認識が映し出されています。
この世界は私たちみんなの価値観と願望、自己認識がきっちりと〈JUSTに〉投影された世界です。
自分をなにと認識するのか、それに見合ったものを世に映し出し、それを受け取ります。
つまり、意識が変わらない限り、世界は変わりません。
よく、誰かのことを好ましくないと感じる時に、私の中にも同じものがあるってことですよね?とおっしゃる方がいらっしゃいます。
意識の法則を学ばれていらっしゃるからこその言葉です。
でも本当はこんなです。
「誰かを心で咎めている時、同じ土俵で攻撃と防衛をやり合っているという点で互いに二極を担っている。」
そういう意味で同じ次元にいて両者はつりあっている、ということです。
「私にもあんな嫌なところがあるから(いやだなあ・でも仕方ない)」という見かたは、両方に罪がある、双方ともに裁きに値する、という見かたであり、それは和解しようのない見かたです。
もし違う見かたでものごとを、世界を見ようと思うなら、知識を身につけたり誰かの真似をしてもそうはなりません。
知識(資格など)を身につける、
お手本を見つけて真似てみる、
環境(仕事など)や身につけるものを変える、
つきあう人を変える、
好き嫌いをはっきりさせる(線引きをすることで自己を確立しようという試み)、
ひたすら訓練する、
新しいことをやってみる、
自分にごほうびを与える、
禁欲する、
感情を抑える、
感情を解放する、
いろいろあります。
色々とやってみて、一瞬なにかが変化したと感じられるかもしれません。
達成感や満足があるかもしれません。
でも気がつくとまた同じような葛藤をしている。
気がつけば、より用心深く周囲を裁き、より巧妙に装い、より分離の壁を分厚くしている。
肯定的な自己宣言は、自分への嘘に麻痺していく方法でしかない。
時間を使えば使うほど、持ち時間も若さも体力も気力も減ってすり減っていく。
生きるためには結局、自分と時間を切り売りするしかない。
そしてすべてが尽きて、死がすべてに決着をつける。
私は自分をそんな存在とみなしていました。内側に神をみつけるまでは。
すべてがひとつであるということの意味は、そんな不完全で弱く未熟なままの私たちがパラダイスへの切符を手に集合することではありません。
私たちの本質は全きひとつ、全一なる神聖なものであるという認識です。
私たちがそれを真に認識し、確証を持ち、完全に信頼するため、私たちは仲間たちと分かち合わなければなりません。
それだけが、この世界において意味のあることです。
愛だけが実在し、愛だけが力を持つ。
それが真実です。
愛だけがそうであるなら、それ以外は無意味です。
その無意味なものに意味を持たせているのは、私たちの自己認識だけだということなのです。
これは自分を高めてくれる。
これが自分を守ってくれる。
これが自分の存在意義だ。
これだけが楽しみだ。
これが生きがいだ。
これがないと辛い。
こう思われたい。
こうでないと困る。
これらは全部、自分とはこんな存在であるがゆえに、という自己認識に紐づいている価値感です。
そして、ささやかな権利として保持されているそれらのものは、真に価値のあるものの優先順位を下に下に、追いやっているのです。
もし私たちが、内側に実在する神という神聖で無限の意識と同じように創造された自分を自己として認識するのならば、ささやかな権利が自分を維持するために必要だと考えるでしょうか。
無価値なものに価値を置き、唯一価値があるものをなるべく遠くに置いておこうなどとするでしょうか。
神って自分でしょ?と言われることがたまにあります。
その通りです。
でも、あなたはそのように認識していますか?
そして神以外の自己認識を自分のものとしていませんか?
神でありながら不完全である自分などという途方もない矛盾を、無感覚に受け入れていませんか?
もし神という自己認識を思い出しそこに本当に戻れたなら、あなたは片時も分離の壁の向こうに仲間を置いておくことなどできません。
あなたは本当に実在しているものだけを自分のものとし、神が創らなかった罪や二極という幻想を即座に消し去り、神の代用品であるささやかな偽物たちを神と自分の間に置いておくことをせず、即座に仲間の手を取って神の元へ行くでしょう。
自分が神の被造物であるという自己認識こそが真の自己認識であり、その真の自己があるがままに観る世界がキリストのビジョンです。
キリストの眼に映るのは実在するものだけです。
それが赦された世界です。
赦された世界とは罪がなく、ゆえに咎めが存在しえず、ゆえに攻防がなく、ゆえに無限に創造される愛だけが認識されうる世界。
分離した肉体を持つ私たちにとってそれは、分かち合うことでしか決して体験できないものだと言えないでしょうか。
体験された真理こそが愛なのだと。
最近改めてつくづく思うのです。
癒しとは、ただ真理を真理として受け入れることなのだと。
一旦受け入れられた真理は光として内側に照射され、私たちの内に仮に保存されている神の代用品、過去の知恵、自己保存のためのあらゆる知識をただ照らし出します。
それら自我の知覚による無意識の記憶たちは、真理の光の前に存在し続けることはできません。
その取り消しはあまりに自然にあまりに当然の流れのように起こるので、私たちにはそれを見届けてくれる鏡が必要になるのです。
そうして私たちは神の子としての認識、自覚を取り戻すのです。
ある方はその鏡にAZUさんがなってくれることで、私は迷いなく癒されることができるとおっしゃってくださいました。
よく映る鏡。魂の仲間とはそんな相手のことです。
魂の仲間が癒される姿を見せてくれることで私もまた間違いなく神を分かち合い体験できるのです。
二人の人が心を一つにして目的に向かう時聖霊が介在する。
どんなことでも二人の神の子が心を開いてとことん分かち合うことさえできたら、すべてが幸せになることは可能なのだ、と思うのです。
神さま、どうでしょうか。
私たちの誤った自己認識が作ったこの世界ではどこまでいっても偽の天国と地獄が同時に存在し続けます。
でもあなたが創られた愛というみ心を、私たちは分かち合いによって体験し、無限に延長させることができます。
神さま、あなたには私たちのこの尊い姿が喜びなのですね。
この神聖な意識こそがあなたのこどもたちの姿であり、あなたがお創りになったものなのでしょう?
神聖な神の被造物である仲間たちよ、いかがでしょうか。
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AZU拝