AZU WORLD

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

この世で唯一分かち合えるもの

こんにちは。今日は311。あれからまる12年経ったのですね。

当時、私は夫と沖縄へ移り住んで2年。

豊崎のマンションを、なぜか奇跡的に買うことができて(奇跡的にお金を借りることができて)夫と二人で今のRUACHを本腰入れて始めることができ、世界は希望で輝いていました。

目にするすべてが新鮮で、沖縄の島じゅうのすーじぐぁー(小道)をくまなく歩いて感じたいというような、おさなごの心境でした。

そんなある日、まさに光の中を散策していると、希望の光と裏腹に、「何かが終わってしまうような」すーっとなにかが遠ざかるような感覚がよぎったのです。

悲しいとか怖いとか、そういう肉感的な感情は皆無で、ただエネルギーがすーっとシフトしたような感じでしたが、そうでありながらそれはとてもリアルに明確に「すでに起こった」と言っていいような既視感を伴っていました。

 

それからまもなく、あの震災が起こったことをインターネットで確認しました。

これだったのか、と思いました。

 

津波の映像はあまりに凄すぎて、そこに人が暮らしていることを無理やり想像しなければ、バーチャル映像かなにかのようでした。

少しずつ、現場の人の声が拾えるようになってくると、それは想像をはるかに超えた、確かに「ある一つの世界が終わった」出来事のようでした。

そして、原発の事故が伝えられました。

 

それからというもの私と夫は現状把握のための情報収集に明け暮れました。

混乱の中で、少し離れた距離にいる私たちは、余計に知ろうとしたのだと思います。

 

情報は錯綜していました。

私たちはまったく異なる、真逆とも言える情報がネット上で同時に飛び交っているのを見ました。

そしてそのギャップはどうやら、公の発表と、実際的な識者との間にあるということを理解し始めました。

 

そこで一部の人々の間では「目覚め」を求める言説が飛び交いました。

確かに私たちに「目覚め」は必要です。

それは今なら明確に言葉にできます。

 

目覚めは、社会の嘘や闇の構造に気づくだけでは不充分です。

 

目覚めとは、本当の自分を知ることです。

或いは、今まで知っていた自分は本当ではなかったと知ることです。

 

世界は自己認識の投影であり、私たちは見たいものを見たうえで、それが客観的な現実だと信じているからです。

社会の構造も、この世の法則のように見えるものも、殆どそれ自体が自己認識の投影と言えます。

 

自分が知ろうというとルーツを探すとか、他者と比較してどんな特性を持つとか、どんな位置づけにあるのかを連想させますが、それらを探すことでもありません。

別の宇宙に属する魂のルーツを認識することでもありません。

 

それらは魂が肉体の乗り物に乗って体験した「過去」の記憶に過ぎません。

過去というアイデンティティーが自分であると認識することは、自分が肉体だと認識することと同じことです。

 

そして真理において、おそらく科学においても、過去は「ない」のです。

 

今この時に、そして永遠に実在することだけが真実であり、私たちはそれを知り、理解しうる存在です。

私たちはいつなんどきにも、その実在とともにあります。

その実在こそが、究極的には本当の自分です。

 

情報をたくさん収集し、自分なりの解析をし、意見を持ったところで、すべての人とそれを共有できません。

どこまでも対立があります。

いつも誰かがのけ者になり、あぶれる人が出てきます。

ひとつにまとめたいという欲求は、支配という結果しか生みません。

 

でもこの世で唯一共有できうるものがあります。

それが、本当の自分です。

 

この世を神が創造したというのなら、神はあまりに不完全です。

不完全な神を私は信頼できません。

でも、この世で唯一共有できうるもののみを神が創造したのであれば、神は完全であり、その完全さを私たちは持っていることになります。

 

共有できるものは内側にしかみつけることができません。

自己探求の価値はそこにしかありませんし、意識、心、エネルギーに向き合うことでしか、それに出会うことはできません。

 

愛も平和も相互理解も、外側に求めればそれはいつも不完全で脆弱です。

でも完全な今と永遠がすべての存在に備わっていて、いつでもどこでもそれと出会っていく権限を持つ自由な存在が、私であり、すべての人なのです。

 

先日9日のオンライン瞑想会では、その証しをたくさん見せていただくことができました。

ご参加くださった方がFacebookに体験談をシェアしてくださいました。

一部を掲載させていただきます。

今回、AZUさんの瞑想会に私は初参加でした。
瞑想って「呼吸を意識する」「思考を止める」だけと
思っていませんか?
やっていくうちに
不思議な世界へと入って行くんですよね。
その経験を特に強く感じたのでシェアしたいと思います。
「よく来たね」
瞑想が始まり心に入ろうとした時にかかった言葉。
あ~待っててくれたんだ。。。
そう思ったらギューっと温かい氣持ちが湧いてきて
心地よい氣持ちになりました。
AZUさんの誘導に身を任せて感じていると
今日一緒に瞑想をしているメンバーが目の前にいて
それぞれのベールの中にいるようなイメージが湧き
「あれ?これって自分の心の中に人が入ってるのいいの?」
と「やり方間違えているんでは?」という思考が
動き始めたんです。
その時、AZUさんの誘導が聞こえました
「神と共にいる、そのスペースに
瞑想をしているみんながいることを感じてください」
ぉぉぉぉ~
そのタイミングで、その言葉がかかるとは💦
そう思った瞬間に、みんなのベールが取れて
全く同じ空間に立っていたんです。
また、瞑想をしていると
「神の光に包まれ、神に抱かれています」
という言葉と共に私の中で
「こんな私でもいいんですか?」という言葉が
浮かんできて、涙が溢れました。
瞑想が終わった後にみんなでシェアすると
同じような氣持ちで泣いているメンバーがいて
これが「ワンネス」って言ったり
「心は繋がっていて、みんな同じなんだよ」
って言われるところなのか!?
という体験をしました。
だからこそ、【人の痛み】も自分の痛みであるし
【愛】も自分も人も受けとっていいんですね。
瞑想途中で「雑念ばかり」浮かんできて
集中できなかった部分もありました。
「集中しないといけない」「雑念がダメ」
それも全て「自分が創った規制」であり
そういう規制を沢山作っている自分がまた浮上し
ジャッジしなくていいんだなぁと
何度も氣付かせて頂きました。
【~すべき】皆が持っているそれぞれの規制。
それって本当なんだろうか・・・
これを手放していくことが執着を手放す事になり
仏教心理学でも伝えてる事に繋がっていく。
キリスト教や仏教、エネルギーの世界など
全く違う分野であっても、結局は同じことを言ってる。
自分の規制を手放し愛からの目線で物事を見ると
どんな自分も、人も許せるようになってくる。
不思議な世界のようで、これが宇宙の法則なんだろうな。
皆さん、「~すべき」手放せてますか?
心も全て繋がっていて一つだからこそ
「~すべき」を手放していく人が増えたら
必然的に「愛」しかない世界になっていくんでしょうね。
私もどんどん手放していこうと改めて感じた
今日の瞑想会でした。

次回は今月19日㈰午前11時から、行います。

概要は以下のの記事をご覧ください。

ご参加を心からお待ちしています。

感謝とともに

AZU拝


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