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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

感じることに悪いものなんてない

「こんなふうに感じてしまうんですが、どうしましょう」というご相談が相次いでいますので、少し思うところを書かせていただきます。

 

感じることに悪いものなんてないと私は思います。

でも、その感じ方は正しいとか悪い、と思い込んでいる考えは問題です。

 

わたしとはなんなのでしょう。考えでしょうか。感じることでしょうか。それとも行いでしょうか。

そのどれかだ、あるいはそれらを合わせたものだという考えは、私たちを肉体に閉じ込めてしまいます。

 

私たちは肉体に閉じ込められてしまうと途端に窮屈で希望を無くし自由でないと感じます。

その閉塞感から抜け出すために、いろいろな欲求を満たそうとしたり、欲求を無視したりします。

でもどちらとも、不自由で不幸には違いありません。

 

セッションではまずは考えていることではなく感じている自分を意識していただきます。

考えている自己よりは感じている自己のほうが圧倒的に優位で大きく、自己といえるものに近いからです。

 

ですから感じている自己(潜在意識)と仲良くなることで、自分を生きることはやりやすくなるでしょう。

 

例えば、誰かと接したときに緊張したり疲れたり嫌な気持ちになったり。

「それが普通だよ」「相手がこうだから」と思っている段階から、もしかして自分にも原因があるのかな、というところへ進み、自分を変えたいと思う。

これは自然な前進だと思います。

そして自分の一方的な欲求や、これが正しい、良いに決まっている、これしかできない、自分が悪い、相手にこうであってほしい、こう思われたい、など自分で設けて自分や他者を量っている自分の物差しを見直すのはすばらしいことです。

 

これだけのことでも世界は結構変わります。

 

しかしここは難しい、どうしてもそうとしか思えない、などの壁がない人はいないのではないでしょうか。

その壁は、変わりたいという意思と相反して、変わることに抵抗したり無理だと諦めさせようとしたり、原因は自分ではなく相手(他者)にあって、自分は変わる必要はないと主張したりしてきます。

 

その原因はと紐解いていくと、それは意識の仕組みにあることがわかります。

原因と聞くと多くの人は、誰かと誰かの間に起こった出来事か、自分や他者がしたこと(言ったこと)のことだというふうに理解します。

お母さんが、お父さんが、彼(彼女)が、配偶者が、お姑さんが、先生が、子供が、などです。

 

しかしそこを見ていても幸せは来ません。何かのせいでこうなってしまった、という因果の犠牲者というものの見方にすでにはまっているからです。

 

私は意識の仕組みのことを思うと思わず興奮します。人間の思考では到底及ばない真実がそこにはあります。

動植物や人間以外の自然の摂理に感動する人は多いと思いますが、人間の意識という摂理こそ、本当に神だと私は思います。

 

変わるというのは本当の摂理に気づき、自分という存在への認識を変えることです。

 

これまでの体験に基づく自分ではない、本来の質が自分の内にあること。

その本質こそが本当の自分だということ。

 

私たちはその真実を受け入れるときに初めて、他者や自分自身の自我から受ける比較や評価から自由になり得ます。

「私はこのように感じている」という現実を、ゆるせます。

同時に相手がそのように感じているだろうことをゆるせます。

 

今どのようであろうと、私たちは神の手の中にいて、神の愛を学んで実践している最中です。

神から見たら私たちは等しく未熟であり愛すべき存在です。

 

そのことは神がよくご存じであり、私たちが誰かに裁いてもらう必要も誰かを認定する必要も誰かに証明する必要もありません。

それはすでにここに大きく横たわって存在している真実だからです。

 

神を信頼するようになると少しづつ、少しづつ、誰にこう思われた、こう言われたということに無意識に同意してしまうことがなくなります。

そう思ったのはその人であり、本当はどう思ったのかすらも不明です。

こうみなされた、と思っているのは自分なのです。

 

そして、私はこう感じこう思うということに、より正直に開いていられるようになります。

そのことを神はよくご存じであり、どのような些細なことでも未熟でみっともないことであったとしても、神はすでに赦しておられるからです。

私たちにできることは、今ここである自分を認め、そして次の一歩を希望とともに踏み出すだけです。

 

こう感じてはいけない、などという思いこそが人間の思い上がりのような気がします。

どんなに卑劣で汚らしい気持ちであってももとは傷つきと恐れから来ています。誰もが持ちうるものです。

そしてその思いをきれいにし、修正し、進歩させてくれるちからこそが、本当の自分なのです。

承認欲求と自己受容

生き物の根源的欲求は食欲性欲睡眠欲、と言われています。

では人に限定した場合は?それは承認欲求、と言われます。

すべての人が、おとなであれ子供であれ、胎児であれ(催眠で退行するとそれがよくわかりますが)確かに確固たるわけあってそれをしています。

 

そして、人間の心の問題はその欲求が満たされないときに起こります。

同じ意味で愛情不足とも表現されますが、承認のほうがより正確かと思います。

すべての対人関係に愛情が求められているわけではないですから。でも、承認は求められています。

コミュニケーションが良好かどうかは双方がその欲求を満たしあっているかで判断されています。

どちらかに不全感があればそれは分断されていることになります。

 

私は心のセラピストですが、「理解されない」「わかってくれない」という訴えは非常に多いです。

私もかつてそうでした。

(いえ、今でも心情としては同じです。ただその欲求とのつきあいは非常に変化しました。)

それは存在にかかわる根源的な問題なのです。承認されていないというのが人特有の悩みの根源です。

 

人として進化すればするほど、つまり精神が細やかに発達するほどに、人は承認されているかどうかが気になるようになり、承認されるために工夫するようになります。

 

先日「あしたの私のつくり方」という映画を見たのですが、このことがものすごくわかりやすく(かわいらしく)描かれていました。

学校という集団の中でいかに承認されて生きるかという工夫を凝らして成功しても、結局それは本当の私じゃない、じゃあ本当の私って?という青春映画なのですが、生き辛さを感じたことのある人なら思わず泣けてしまう映画じゃないかと思います。私はぼろ泣きでした。

 

結局のところ、他者からの承認を求め続ける生き方は満たされることを知りません。

自分を満たすのは自分自身のからの承認だよ、というのがインナーチャイルドワークです。

さらに本当は神様があなたのすべてを承認しているんだよ、ということを知るのが瞑想でありスピリチュアルの根幹です。

 

人間が自分を肉体だと信じている間は、承認を他者に求めざるを得ません。

 

でも人間とは意識というエネルギーの存在だということがわかると、まずは自分が自分を承認できれば他者との認め合いは可能なんだとわかります。

 

さらに自分の内側に神様がともにいるのだとわかると、自分の中の見たくないところ、認めたくないところを含めて認めることが可能になってきます。

 

実際のところ、その認めたくないところをも認め、感じ切ってみることこそが、自分に自由と解放をもたらすのです。

癒しとはその、自由をもたらす解放のことです。

 

癒しも自由も解放も、内側に神がいてこそ本質的に可能になるということだと私は思います。

 

私が学んだカウンセリングは渡辺康麿先生が考案した「セルフカウンセリング」というものです。

この学びは本当にすばらしいものでした。

 

私たちが感じていることから逃げずにあるがままを感じる(表現する)ことで自己認識(気づき)が起こり、自己理解が起こり、自己発見が起こり、自己受容が起こるというわけです。

超越的受容、と説明されています。無条件の愛、つまり神ですね。

そして他者をカウンセリングすることは、セルフカウンセリングによる変容を体験したことによって可能になります。

 

これが摂理、仕組みなのです。

セルフカウンセリングでは、神という概念を使わずにこの摂理が紐解かれています。

それこそまさに神、です。

 

敏感な人、聡明な人ほど「理由づけ」「意味づけ」が好きだったり、他者か自分か双方を裁くことが得意だったりするのは実は、立ち止まって感じてみることを避けるための対処です。

 

自分の内面に直面せずに回避を続けることが、私たちを本当の自分から遠ざけています。

しかし問題を解決できるのは本当の自分だけです。

 

現実とスピリチュアルの境目などありません。それを作っているのは人の思考です。

スピリチュアルは超リアリズムです。

この世の真実とはほんものの仕組みのことであり、スピリットありきというのが真実なのですから。

we are the lights

もし今の自分より別のなにものかになりたくて

でも何をすればいいかわからないときは

「きみがひかりになればいい」。

 

なにがしたいか、なにができるか、なんて考えなくていい。

自分がしてほしいと思うことをすればいい。

本当に誰かにしてほしいことなんてそう多くはない。

 

見ていてほしい、わかってほしい、だいじょうぶだって言ってほしい。

愛してほしい、求めてほしい、すばらしいと言ってほしい。

 

自分が本当はなにを求めているのかわかったら

それをやってみればいい。自分や、他人に。

 

どんなことも、仕事の成功も、人の気持ちがわかるとできる。

人の気持ちは自分をわかればわかる。

自分が難しいときは、人の気持ちをわかるようにがんばるといい。

そうすると、自分がだんだんわかってくる。

 

世界は全部、気持ちでできている。

みんな求めているのはだいたい同じ。

だから本当はわかりあうのは難しくない。

 

 

↓最近の大ヒット。ヘッドホンでどうぞ。

 

youtu.be

 

光を求めてばかりで
人に照らされてばかりで
1人じゃ何もできなくて
だけど素直になれなくて
今の自分に嫌気がさして
どうしても自分を愛せなくて
人は光を求めて生きてる
忘れかけてたこと

We are the lights
誰かが道に迷ったら

We are the lights
足元を照らせるように
僕が光になればいい

You gotta show your lights
You gotta show your lights

 

何が大切かわからない
どこに行けばいいかもわからない
僕の世界は偽りだらけ
テレビもニュースもレディオも
事実を並べて真実はどこ
暗闇を照らす光を探してたんだ
自分を信じることもせずに
誰かに頼ってばかりで
自らの輝きは消え失せた
忘れちゃいけないこと

We are the lights
誰かが道に迷ったら
We are the lights

足元を照らせるように
君が光になればいい

You gotta show your lights
You gotta show your lights

We are the lights
誰かが道に迷ったら
We are the lights

足元を照らせるように
僕が光になればいい
君が光になればいい

We are the lights
We are the lights

 

光を求めてばかりで
人に照らされてばかりで
1人じゃ何もできなくて
だけど素直になれなくて
今の自分に嫌気がさして
どうしても自分を愛せなくて
人は光を求めて生きてる
忘れかけてたこと

We are the lights

 

 

ReN   『lights』


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