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自分の中の天才と生きる

昨日のブログ すべての人にある天才を開くからの引用です。

天才と凡人の違いを洞察すると、肉体の死以上に魂の導きの魅力を感じるかどうか、のようにも思います。もとは、すべての人が等しく神の子として創られていますが、魂を忘れて肉体の本能にばかり従っていると、群れをなす安全にばかり気を取られ、魂として生きることを忘れてしまうのです。

 さて、肉体の死、以上に魂の導きに魅力を感じるってどういうことでしょう。

 

「三度の飯よりも〇〇が好き」とか「寝食を忘れる」って言葉がありますよね。これってある意味、そういうことだと思いませんか。からだの根源的欲求である食欲や睡眠欲を差し置いて選ぶということですから。

 

こういう感覚ってみなさん体験するものですか?私は、演劇をやっている時がそうでした。演劇をやる場ってそもそもそういう人の集まりですから、それが当たり前、普通って思っていました。特に、学生(玉川大学の演劇専攻)時代や、学内で結成して活動し始めたころの劇団はまさにそれでした。

 

劇団時代は、プロ意識の高い人の集まりだったので、とにかく鍛錬は厳しくて、その中でも私こそが「稽古の鬼」などと呼ばれていました。

 

おとなになって活動の枠を広げるにつれて、むしろ自分の集中力や鬼的な面などが周囲と調和できずに場を失っていったのですが、なにが原因なのかわかっていませんでしたから苦しみました。

 

なんというか、自分は1つの舞台でもう、これで死んでも悔いはない、というくらいまですべてを出し切ってしまうのです。実際に1つの公演が終わると3日くらいはほとんど寝たきりになり、そこから通常の生活に戻すのに10日くらいかかりました。

 

あとから前世療法をやるようになりわかったのですが、1つの役を演じると、ひとりの人生を生き切って終わったくらいの内的体験があり、エネルギーを使い切ってしまうのです。

 

でも1つの舞台を創ることはそれくらいの価値あるものだと心底思っていましたし、その舞台にかかわる人すべてとそういう意識を共有したいと望んでもいました。

 

しかし自分の劇団よりもメジャーな集団に参加してみてもまったく共感してもらえませんでした。ある先輩の役者さんから「あたしは仲村(当時の私の芸名)と違って生きるために芝居やってるから。仲村みたいに死ぬために芝居やってるんじゃなくて。」と、全体ミーティングの時に言われたことがあり、その時はものすごいショックで大泣きしてしまいました。

 

私はもちろん、死ぬために芝居をやっていたのではなく、自分が本当に生きる道はこれだと思ってやっていました。でも私にとっての生きることは確かにある意味命を捧げることでもありました。当然ながら通常の意味で生きるために働くというのは「食べるため」であり食べるためとはすなわち肉体が生きるため、という意味なのです。

 

でも当時は自分ですらその違いや、自分がなにを選んでいるのかもわかっていませんでした。ただ少なくとも大学や自分の劇団では「これがそれだよ!」と言える作品を作ってきた体験がありましたから、それらもまとめて否定されたようなショックだったのです。23、4歳の頃のことです。

 

そのあたりから結局私は30歳をすぎるまで低迷し続けました。30歳を過ぎてもまだ往生際悪く自分の生きる場所が見つからず、また生きていたいとすら思えませんでした。35歳になってもそうでした。もちろんその期間にも努力と探究はし続けていましたし、すばらしい経験もたくさんさせていただいたのですが、ただ舞台以上に自分が魂と一致して心の底からこれが私なんだと感じられる生き方が見つかりませんでした。

 

ただ望むのは、いつの日か、人生のすべてに「ああ、そうか、そういうことだったのか」と納得できる日を迎えたい、そんな思いでなんとか生き延びることが目的の毎日が続きました。

 

振り返るとこの頃の体験が自分にとって、まるで理解が及ばないほど意義深い体験だったことがわかります。演劇は私を食べさせてはくれなかったけれど、魂として生きることを教えてくれました。

 

そして今となってはその魂が、私の肉体をも養ってくれる生き方をみつけたのです。それが私が探していたものです。

すべての人にある天才を開く

人は、本当におもしろく不思議な生き物。もしつまらないと思っている人がいるなら、それは人という存在のうちのほんの数パーセントくらいしか見えていないからではないかと思います。

 

人には7つのからだがあり7つの気脈があって、脳の9割が未開発だなんて、もうそれだけでえらいことです。

 

さしあたりこれだけを理解し成長させることを念頭に置いてみたら、すごいことになると思いませんか。

 

私たちはみな、神に似せて創られた天才の持ち主。自分の中の天才に気づき、意識するかどうかで人生の質と進み具合はうんと変わってくるでしょう。

 

人はみな、どこかで変わりたいと願いますが、一方で周囲と違いたくないという感覚を持っています。私たちを変えようとするのは超意識(魂・真我)で、変わりたくないのが潜在意識(肉体意識・自我)です。

 

魂は神のわけみたま、などと言われますが、神の分身なので神に戻りたい、神と一体になろうと私たちを導きます。一方肉体意識は物理次元に属し、肉体の集合的な経験上、社会からはみ出ることは死を意味しますので、違いを非常に恐れています。

 

天才と凡人の違いを洞察すると、肉体の死以上に魂の導きの魅力を感じるかどうか、のようにも思います。もとは、すべての人が等しく神の子として創られていますが、魂を忘れて肉体の本能にばかり従っていると、群れをなす安全にばかり気を取られ、魂として生きることを忘れてしまうのです。人はそれを凡人と呼びます。

 

私たちが内なる天才である魂の導きに従って生きるようになるにはどうすればいいか。それは心を訓練することです。それは誰にでも始められます。

 

自分の心を意識してみます。なにをどう感じていて、どう動いているのか。

そして、それがどのように変化しているか。

 

こういうことがすべて瞑想に含まれます。

最初は一個人の心の中にしか感じられませんが、それが普遍的で全体的ななにかへと拡大していきます。

 

多くの人が、自分を変えたい、もっと違うなにかになりたいと願うかもしれません。でも、変わることとはそのまま進化することなのです。

 

現状を100%正しい状態だと認めるなら(間違いでこうなっているのではなく、過去の行いが100%正しく出ている結果が現状なのだと認めるのなら)そこから進化することはとても容易になります。

 

カウンセリングのセッションでは、例えばこんな視野から現状を見直し、理解し、そしてより速く進化する選択をご一緒にワークしていきます。

 

ご自身が今いる現状、今取り巻く環境の中から、直接意識とつながる道を開くことができます。神がすべての人に用意している「しあわせへの道」を見つけましょう。

 

 

今月の瞑想会は満席のご予約いただきました。本当にありがとうございます。

はりきって準備を進めます。

またご検討くださっている方、来月第4日曜日にお待ちしております。

 

感謝とともに

AZU拝

前世療法の知られざる効力

前世療法。男女の運命の赤い糸を証明する形でブライアン・ワイス博士が世界に知らしめた催眠療法のワーク。

 

出版当初、周囲で読んで感動している人が多かったけれど、正直私はふーん、という感じでした。今はなぜそれが私にヒットしなかったかよくわかります。

 

前世療法は、運命の赤い糸を破棄するためのセラピーです。カルマの原因を解放するとも言えます。

 

私たちは今世の過去も魂の過去世も含め、過去に行ったことの結果を引き継いでいます。(それがカルマ)

 

恋に落ちるばかりが赤い糸ではありません。

魂はだいたいグループで転生しているとみられます。魂の仲間同氏が役柄を変えて何度も共演しているように。

 

魂は役者で、肉体は役柄。魂の仲間は劇団。そんな仕組み。

 

過去世のストーリーは過去の上演作品。

 

今回の役柄を深く豊かに演じるコツは、過去の作品のストーリーや役柄をすっかり忘れること。そして、今回の役柄に集中すること。

 

しかし過去の役柄の記憶がことあるごとにちらついて、今回の役柄を演じるのに支障がある、そんなとき前世療法が役に立ちます。

 

過去の演目、役柄をしっかり学びきって手放す。総括して卒業する。

 

またどんなストーリーであっても、たとえ悪役であっても、演じているのは役者なのだということを思い出させてくれる。そんな効力もあります。

 

ストーリーがどんなであれ、役柄がなんであれ、役者どうしの共演が重なれば相手を理解しやすく、関係は壊れにくく信頼関係がつくりやすい。それが赤い糸の正体と言っていいでしょう。

 

ストーリーの続きを演じることではなく、役を離れて魂どうしに戻ること。それが、愛という関係に戻ることです。

 

前世療法のもっとも大きな効力はそこにあると私は思っています。


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