AZU WORLD

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

癒しを終えることの意味

癒しは終えられるか。

終えられます。

 

しかし、癒しが終われば普通になれる、ケガが治ったから普通に歩けるようになる、というような図式にはなっていないと言うのが本当だと思います。

癒しは、特別問題がある人に必要なものではないからです。

癒しは誰にでも必要です。

自分を誤解していない人はいないからです。

人は自分を誤解していることによって、この世界を誤解しています。

 

私たちは自己を、肉体という弱い存在であると認識する限り防御を必要とし、

防御するためには常に他者を敵か味方かという二元の分類に当てはめ、

世界を自分の知覚という体験に基づいた二元性の尺度で測り、

その線引きもいつなんどきぶれるかわからず、

中身も常に入れ替わります。

 

愛が大切ということは常に言われていますが、

愛とはなにかを知らず、

愛を知覚によって想定し、

それによって愛を測り、

喜んだり絶望したりします。

 

癒しとは、そんな私たちを本来に戻すことです。

 

本来に戻ることは、私たちがこの世で作ったルールを覆します。

癒された人は自分を縛るルールを覆します。

そして、世界を自由にします。

 

この世界に順応し、適応する人になることを目的としていません。

なぜならこの世界が、対立から決して自由になることのできない仕組みになっているからです。

 

癒しだけが、その世界を変えることができます。

 

癒しが終えられると言った理由は、癒しはやがて学びに変わるからです。

学びは、足りないものを埋めたり達成したりすることではありません。

癒しの後に続く、無限の愛への道を歩む、幸せと喜びの創造が、学びです。

 

どれだけがんばっても癒されなかった、という声を伺います。

どの方法も効き目は一時的なもので結局は繰り返しているだけのようだった、とも伺います。

 

多くの方は、ご自身の変化というものに気づかれていません。

変化を測る時、多くの方が「外的状況」の変化を基準にされます。

 

「あまり変化はないんですが、心が穏やかになりました」

「変化は特にないんですが、(問題が)気にならなくなりました」

いいえ、変化とはそのことです。

 

心がどちらに属しているか。

愛か、恐れか。

問題は、それしかありません。

恐れに囚われているなら、愛に戻らなくてはなりません。

 

癒された人は、愛に戻ろうとするはずです。

癒されていない人は、防御と攻撃に走ります。

 

もちろん戻ろうとしても、私たちは知らずに知らずに攻撃に転じています。

ですから、愛に戻るという学びをするのです。

 

愛に戻る学びはすばらしい体験です。

神聖で、祝福に満ちています。

そして自分が愛に戻る学びをするとき、必ず誰かを一緒に連れ戻そうとするのです。

そうやって私たちは、愛を拡大することができます。

 

その学びがわずかでも苦痛に感じるとすれば、それは目的を誤って設定している時です。

自分を誤解したまま、誤った目的に着地したがっているのです。

 

私自身の体験で、癒しが終わらずに焦ったりイライラしたことがありました。

その時の心の声は「なぜみんな普通に生きていられるのに私ばかりが自分の修理に追われているんだろう」と言ってきました。

しかし癒された私は「癒しとはなんとすばらしいのだろう。愛と最も親密でいられる」と言います。

生きることについてもまったく同じです。

ああもう、生きるのしんどい。生まれ変わりたくないなあ、と思っているうちは癒されておらず、罰を与えられていると認識しています。

その間はカルマの法に縛られています。

学びが進んでいないので、生まれ変わる必要があるのです。

癒されたら、ああ何度でも仲間の元に生まれ変わってきて、学び合いたいものだ、と思えてしまうのです。

そうしたら、生まれ変わる必要はなくなるのです。

 

癒しは方法によって良し悪しがあるものではありません。

ただ本当の仕組みと取り組み方がわかるかどうかです。

つまりは目的が明確かどうか。

そうすれば道具の使い方を誤りません。

 

これだけは言えます。

愛だけが癒します。

愛とは、神から来ます。

神の愛以外は愛ではありません。

しかし私たちが神の被造物であるのだから、

愛は私たちの内にあります。

 

その愛を求めるかどうか。

そのわずかな意欲があるかどうかだけです。

(愛があるからそれでいいのではありません。

あっても、切り離されているのです。

私たちが分離を信じ、分離の世界で生きているからです)

その求めに応じて私たちは癒しに導かれ、

やがて愛が私たちを使ってくれるようになります。

(愛が私たちに属しているのではなくて)

 

愛に使われるようになるには、

恐れを退ける訓練がいります。

恐れと自分で戦うのは自我のやり方ですが、

自我を放棄することで、愛が恐れを無効にするのです。

その体験が学びです。

 

学びは癒しの延長にしかありえません。

 

癒しを終えたいと願うのは間違っていませんが、なにがゴールかわからないなら、癒しが終わったことを認識できません。

より良い自我になることをゴールにするなら、癒し自体が誤解されています。

    ◇   ◇   ◇

私の行うセッションは、世間では心を癒す道具と見なされているかもしれません。

でも、実際に体験してくださった方はご理解いただいていると思いますが、

すべては喜びの学びにそのままお使いいただけるようになっています。

だからこそ、癒しが可能なのです。

 

◎定期オンライン瞑想会

◎奇跡の講座

ヒプノセラピーインナーチャイルドワーク、前世療法、ハイヤーセルフ)

◎スピリチュアルカウンセリング

◎エネルギーヒーリング

◎ヒーラー、ヒプノティスト養成講座

各種、対面・オンラインで対応いたします。

詳しくは公式サイトをご覧ください。

https://harikyu-suwa.jimdosite.com/

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心のセラピストAZU

4月のオンライン瞑想会のご日程など

みなさん、こんにちは。

植物たちが一斉に芽を膨らませ花を咲かせ、すごい力を出しているなあと感じさせてくれます。

一気にいろいろなものが噴き出してくる季節ですね。

心の中から出てきたものは、向き合ってあげるに限ります。

どう捉えていいか、どう整理していいか、どう受け入れ、どう手放していいかを知っていれば、向き合うことはそれだけですばらしい体験です。

お手伝いさせていただけたら幸いです。

 

まもなく春分を迎えます。更に意識の前進の機会となりますように。

4月のオンライン瞑想会のご日程をお知らせさせてください。

◎4月の瞑想会スケジュール

 

◇期日 2日㈰&17日㈪ 午前11時開始です。

◇開催時間 90~120分(ご参加の人数によります)

◇オンラインツール zoom(事前にe-mailでリンクアドレスをお送りします。スマートフォン、パソコンなどでご利用になれます)

◇ご参加資格 ご興味のある方。経験者、未経験者どなたでも。対話にご参加いただける方。

◇定員 1名~10名さままで。

◇内容 誘導瞑想とシェアリング、質疑応答。進行と誘導瞑想はRUACH[ルーア]心のセラピストAZUが担当いたします。誘導瞑想歴23年です^^お話やコミュニケーションに気が進まない方でも、ご無理なく楽にご参加いただけるよう配慮します。みなさんが分かち合える範囲で分かち合っていただければ、それが大きな実りに導かれると確信しています。

◇ご参加費 3000円(お手数ですが、お振込みをお願いいたします)

◇お申込み e-mailまたはSNSのメッセージまたは、公式サイトからWhatsAppでお願いします。e-mail ruach(アットマーク)live.jp Instagram FB   Twitter 

◇お申込み締め切り 定刻の前々日までです。お申込み、お問い合わせも、お待ちしています。

春休みでお忙しい方が多いかと思いますが、タイミングが合えばぜひご参加ください❣

聖なる無限のスペースでお会いできることを楽しみにしております。

◎個人セッションもすべてオンラインでご対応可能です。

◎奇跡の講座のお申込みも随時お受けしています。再受講(延長)も歓迎です。

詳しくはホームページをご覧ください。

https://kokoro-iyasuwa.jimdosite.com/

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この世で唯一分かち合えるもの

こんにちは。今日は311。あれからまる12年経ったのですね。

当時、私は夫と沖縄へ移り住んで2年。

豊崎のマンションを、なぜか奇跡的に買うことができて(奇跡的にお金を借りることができて)夫と二人で今のRUACHを本腰入れて始めることができ、世界は希望で輝いていました。

目にするすべてが新鮮で、沖縄の島じゅうのすーじぐぁー(小道)をくまなく歩いて感じたいというような、おさなごの心境でした。

そんなある日、まさに光の中を散策していると、希望の光と裏腹に、「何かが終わってしまうような」すーっとなにかが遠ざかるような感覚がよぎったのです。

悲しいとか怖いとか、そういう肉感的な感情は皆無で、ただエネルギーがすーっとシフトしたような感じでしたが、そうでありながらそれはとてもリアルに明確に「すでに起こった」と言っていいような既視感を伴っていました。

 

それからまもなく、あの震災が起こったことをインターネットで確認しました。

これだったのか、と思いました。

 

津波の映像はあまりに凄すぎて、そこに人が暮らしていることを無理やり想像しなければ、バーチャル映像かなにかのようでした。

少しずつ、現場の人の声が拾えるようになってくると、それは想像をはるかに超えた、確かに「ある一つの世界が終わった」出来事のようでした。

そして、原発の事故が伝えられました。

 

それからというもの私と夫は現状把握のための情報収集に明け暮れました。

混乱の中で、少し離れた距離にいる私たちは、余計に知ろうとしたのだと思います。

 

情報は錯綜していました。

私たちはまったく異なる、真逆とも言える情報がネット上で同時に飛び交っているのを見ました。

そしてそのギャップはどうやら、公の発表と、実際的な識者との間にあるということを理解し始めました。

 

そこで一部の人々の間では「目覚め」を求める言説が飛び交いました。

確かに私たちに「目覚め」は必要です。

それは今なら明確に言葉にできます。

 

目覚めは、社会の嘘や闇の構造に気づくだけでは不充分です。

 

目覚めとは、本当の自分を知ることです。

或いは、今まで知っていた自分は本当ではなかったと知ることです。

 

世界は自己認識の投影であり、私たちは見たいものを見たうえで、それが客観的な現実だと信じているからです。

社会の構造も、この世の法則のように見えるものも、殆どそれ自体が自己認識の投影と言えます。

 

自分が知ろうというとルーツを探すとか、他者と比較してどんな特性を持つとか、どんな位置づけにあるのかを連想させますが、それらを探すことでもありません。

別の宇宙に属する魂のルーツを認識することでもありません。

 

それらは魂が肉体の乗り物に乗って体験した「過去」の記憶に過ぎません。

過去というアイデンティティーが自分であると認識することは、自分が肉体だと認識することと同じことです。

 

そして真理において、おそらく科学においても、過去は「ない」のです。

 

今この時に、そして永遠に実在することだけが真実であり、私たちはそれを知り、理解しうる存在です。

私たちはいつなんどきにも、その実在とともにあります。

その実在こそが、究極的には本当の自分です。

 

情報をたくさん収集し、自分なりの解析をし、意見を持ったところで、すべての人とそれを共有できません。

どこまでも対立があります。

いつも誰かがのけ者になり、あぶれる人が出てきます。

ひとつにまとめたいという欲求は、支配という結果しか生みません。

 

でもこの世で唯一共有できうるものがあります。

それが、本当の自分です。

 

この世を神が創造したというのなら、神はあまりに不完全です。

不完全な神を私は信頼できません。

でも、この世で唯一共有できうるもののみを神が創造したのであれば、神は完全であり、その完全さを私たちは持っていることになります。

 

共有できるものは内側にしかみつけることができません。

自己探求の価値はそこにしかありませんし、意識、心、エネルギーに向き合うことでしか、それに出会うことはできません。

 

愛も平和も相互理解も、外側に求めればそれはいつも不完全で脆弱です。

でも完全な今と永遠がすべての存在に備わっていて、いつでもどこでもそれと出会っていく権限を持つ自由な存在が、私であり、すべての人なのです。

 

先日9日のオンライン瞑想会では、その証しをたくさん見せていただくことができました。

ご参加くださった方がFacebookに体験談をシェアしてくださいました。

一部を掲載させていただきます。

今回、AZUさんの瞑想会に私は初参加でした。
瞑想って「呼吸を意識する」「思考を止める」だけと
思っていませんか?
やっていくうちに
不思議な世界へと入って行くんですよね。
その経験を特に強く感じたのでシェアしたいと思います。
「よく来たね」
瞑想が始まり心に入ろうとした時にかかった言葉。
あ~待っててくれたんだ。。。
そう思ったらギューっと温かい氣持ちが湧いてきて
心地よい氣持ちになりました。
AZUさんの誘導に身を任せて感じていると
今日一緒に瞑想をしているメンバーが目の前にいて
それぞれのベールの中にいるようなイメージが湧き
「あれ?これって自分の心の中に人が入ってるのいいの?」
と「やり方間違えているんでは?」という思考が
動き始めたんです。
その時、AZUさんの誘導が聞こえました
「神と共にいる、そのスペースに
瞑想をしているみんながいることを感じてください」
ぉぉぉぉ~
そのタイミングで、その言葉がかかるとは💦
そう思った瞬間に、みんなのベールが取れて
全く同じ空間に立っていたんです。
また、瞑想をしていると
「神の光に包まれ、神に抱かれています」
という言葉と共に私の中で
「こんな私でもいいんですか?」という言葉が
浮かんできて、涙が溢れました。
瞑想が終わった後にみんなでシェアすると
同じような氣持ちで泣いているメンバーがいて
これが「ワンネス」って言ったり
「心は繋がっていて、みんな同じなんだよ」
って言われるところなのか!?
という体験をしました。
だからこそ、【人の痛み】も自分の痛みであるし
【愛】も自分も人も受けとっていいんですね。
瞑想途中で「雑念ばかり」浮かんできて
集中できなかった部分もありました。
「集中しないといけない」「雑念がダメ」
それも全て「自分が創った規制」であり
そういう規制を沢山作っている自分がまた浮上し
ジャッジしなくていいんだなぁと
何度も氣付かせて頂きました。
【~すべき】皆が持っているそれぞれの規制。
それって本当なんだろうか・・・
これを手放していくことが執着を手放す事になり
仏教心理学でも伝えてる事に繋がっていく。
キリスト教や仏教、エネルギーの世界など
全く違う分野であっても、結局は同じことを言ってる。
自分の規制を手放し愛からの目線で物事を見ると
どんな自分も、人も許せるようになってくる。
不思議な世界のようで、これが宇宙の法則なんだろうな。
皆さん、「~すべき」手放せてますか?
心も全て繋がっていて一つだからこそ
「~すべき」を手放していく人が増えたら
必然的に「愛」しかない世界になっていくんでしょうね。
私もどんどん手放していこうと改めて感じた
今日の瞑想会でした。

次回は今月19日㈰午前11時から、行います。

概要は以下のの記事をご覧ください。

ご参加を心からお待ちしています。

感謝とともに

AZU拝


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