スピリチュアル界にワクワクすることをやりなさい、という教えがある。 ワクワクすることは、魂が望んでいることだから、という風に説明されていた気がする。 人間の知覚と直結しているのでわかりやすいサインだと思う。 でも間違えやすいのは、人間の肉体レベルで強い欲求があることにも 私たちはワクワクを感じるということだ。 違うかな。 クリスマスが神の子の誕生を祝う日だから魂が喜んでワクワクするのか それともずっと欲しかったプレゼントがもらえる日だからワクワクするのかを見分けるのは 難しいのではないかと思う。 私たちには直観があるが、それ以上に習慣によって作られた知覚がとりあえず優位だ。 訓練し直されない限り。 バガヴァッド・ギーターでは人間がカルマの法則を逃れるための推奨される方法として 欲望のない行為、つまり、行為の成果への欲求を持たない行動をすることだ、としている。 結果にとらわれない、執着のない行動、と言ってもいいかもしれない。 行為に関して言えば、それのみが人間を自由にするという。 一見無関係か正反対の印象を持つワクワク、が 本当に伝えようとしたのはこのことなのでは、と感じた。 ワクワクすること、というのは その行為そのものに喜びがあるのであって 結果や収穫という目的のための行為ではないから、 というのが、ワクワクの真意なのでは。 でも、ワクワクすることが本能的な欲求を次から次に満たすという行為なのだと勘違いすると それはどこまでも増殖する迷妄にエサを与える行為になる。 それともこのエサは、迷妄でおなかいっぱいになって絶望し、 真実に目覚めるプロセスを早めるための方便なのかな。 確かに欲求のリストをかなえるほどに選択肢は減り、人生への希望は減ったと感じた。 それで、現実はなんでも思いのまま、のような 肌触りのいいスピリチュアル教本に疑問を持つことができた。 巷で人気のあるいろいろなキーワードはあくまで気づきへの起爆剤的な方便であることが多く その背後にある真実を見つけないと情報に踊らされるだけになってしまう。 どんなことでも同じだけれど。