昔の人の言い伝えには 迷信もあれば多くの真実を含むものがある。 「類は友を呼ぶ」は宇宙の波長の法則を物語っている。 嘘も方便、というのはなんともいい加減な言い分みたいだけれど 神そのものは人間の言葉で表現できるものではないので 神の御心をあらわした言葉はすべて方便みたいなものだ。 だから嘘も方便というよりは方便はある意味みんな嘘、虚みたいなものだ。 方便(たとえ)を鵜呑みにしてしまうと 虚を現実、真実だと思い込むような間違いが起こる。 私たちは本当は方便の中からその意図を、 そこに含まれる真実を見つけて受け取らなくてはならない。 アセンションありきみたいなニューエイジ思想のストーリーを信奉している人の中には この、方便を鵜呑みにしている人が見受けられるように思う。 「バシャール」とか「プレアデスかく語りき」みたいな本を読んだ世代の人が (私もそう) 今度は自分もチャネリングできたと言って 尾ひれがついたみたいなメッセージを発信している。 メッセージそのものは一見きれいで害がないように見えるんだけど 深みや現実味に欠けるメッセージには落とし穴があることが多い。 (たとえ落とし穴がなくてもどんな言葉でも鵜呑みにしてはいけないと思うけれど。) 別に金儲けだとか利己主義のためには見えないけれど(善意が多いと思います) 地に足が着いていなくて、軽率だったり安易さが見受けられることがある。 言葉ではつじつまが合っているけれど 究極的に真理と矛盾があるのでそう感じられるのだ。 愛と平和とポジティブが好きで 「否定」と「ジャッジメント」と「ネガティブ」を嫌っていて 自分は光のチームに属していると自己認識しているように見える。 それで全世界がポジティブになることを目指しているみたいだけど それが現実的にどのような状態のことなのかはあまり知らないようだ。 そういう彼らの言動を見ていると 彼らこそがきれいか汚いか(光か闇か)で世の中を分けていて 汚いものを非常に否定していて 否定されることを極度に恐れているのがよくわかる。 でもあまりにも当たり前で申し訳ないけど 大切なものはそこにはない。 大切なのは、自己の恐れを克服し 恐れからくる分離を超えてひとつへと繋がることだ。 そのひとつとは外側には存在していない。 外側はないのだ。 画期的でイージーでかっこいい方法を求めてしまうのが人情だけど その方法は概ね限られている。 すごくめんどくさい地味なことにこつこつ取り組むしかないのだ。 それは心の内側へ入っていき 潜在意識をお掃除し、心身を再教化(訓練)し 風通し光通しのいい内面に変えて 内なる光を招き入れるということだ。 そうなるとどうなるのかというと、 ストーリーが必要なくなる。 世界をポジティブとネガティブに分けて戦う必要がなくなる。 つまりあるがまま、起こることをそのまま受け入れることができるようになるだけ。 そして内面の光をあるがままに放射するだけ。 そうなれば予知や予言はいらなくなるし 透視もチャネリングも宇宙との交信もいらない。 できてしまうかもしれないけれど。 それでも昨今、何万年かかって人がしてきたであろう意識の進化が 飛躍的に進むようになっている。 それこそアセンションといえる現象なのではないかと思う。 だから、私はアセンションを肯定する。 ただしそれは人間が期待したり推測するものとは違うかもね、と思う。 この世の現象は、何が幸いするか、 人間の五官から来る知覚にはなかなかわからない。 東日本で放射能を憂いていても 明日西日本がどうなるかはわからない。 先を予知予見して動いたつもりでもあだになることもある。 ですから人間は端的にも究極的にも、恐れを克服する必要があり その隔たりを超えて そこに広がる海原こそが愛という宇宙であり 私たちが向かうべき、還るべき天国はそこなのだと思うのです。