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愛についての一考

もう本当に前のことになりますが、黒柳徹子さんがテレビで著名で博識な方の追悼番組のなかで、こんなことをおっしゃいました。

『これほどの知識と教養を学び身につけられた方が亡くなるって、本当にもったいなくて残念です。私は常々そういう知識というものはその方が亡くなるとどこへ行ってしまうのだろうと、本当に思うんです。』

それを聞いたとき私は、本当だ、と思い、それから折に触れそのことについて考えました。

考えてみればそれは知識に限らず人間の感情や感性や才能、すべての内的体験において言えることです。形をなしたものは形としてある程度は残りますが、形なきものはどうなるのだろう。

私にとってそれはとても重要なことに感じられました。

私が人生で初めて存在をかけて取り組んだものは演劇でした。演劇のなかにその答えは見え隠れしています。演劇に込められるエネルギーというものは莫大です。ですが、それは時間とともにあとかたなく消え去ります。劇場に装置を作り、専用の衣装を縫い、照明機材を釣り込み、役者はその役にいのちを吹き込み、準備をします。

時間のなかでそれを遂行し、なし終えるとすべてを解体し、劇場をからっぽに掃除してそこを去ります。

そしてそれは観客という対象者が現れるまでは作品として成立しません。『演劇とは舞台と客席、演者と観客との間に成立するものである』と、大学の授業でも習います。この概念は、私たちをハッとさせます。それは人間の人生そのもののようです。

私はそこに、限られたいのちそのものを感じます。その中で私たちが全力を注ぐべきものとはなんなのだろう、と考えないわけにはいきませんでした。

大学での芝居づくりは本当に魂を奪われるほど魅力的でした。私は演技が学びたくて演劇専攻へ行ったのですが、図らずもさらに偉大な学びがそこにありました。すべてがあった、と言っても過言でないほどです。

舞台の仕込みのためによく、モグリと言って、こっそり学校のスタジオで徹夜することがありました。そういうイレギュラーな作業が当たり前でした。疲労は極限に達します。そこでそれぞれの人が様々な反応をし始めます。イライラとか、怒りとか、そんなのはもう当たり前、序の口です。そこには厳しい上下関係もあります。2年生以上はキャストとスタッフを兼ねていますし、一年生はキャストにもつけずにひたすら作業になります。どちらも辛いのです。

好きでやっているのは当たり前ですが、それぞれが自己の未来と自分の度量を図りながら真剣勝負をしていますから火花も散ります。

そんな状態での作業には事故もつきものです。劇場にはおばけがいる、というのは普通に言われています。大きな劇場に行くと必ず神棚が祭られています。私たちも芝居の本番前には全員で祈りを捧げるのが普通になっていきました。

作業が深夜に及んでくると起こる現象としてとして、当時演劇専攻の一番の長老だった、今では有名な声優の大場真人さんの名前を、ちょっと狂言風に言い合う、というのが思い出されます。誰かが「おぉおば」と言うと「んまひと」と応じます。そういうのが、あうんの呼吸で起こってくるわけです。もう、ランナーズハイというか、トランス状態みたいな感じで。

そういう時間にだったと思うのですが、ある先輩が「芝居は愛だ」と宣言したのです。「おぉおば」「んまひと」とかのノリで。

すると先輩たちが「そうだ、愛だ」と応じました。「愛だ」「芝居は愛だ」「芝居は思いやりだ」「そうだ」「思いやりだ」という感じです。なんだか、そのとき感動していました。それくらい偉大で壮大なテーマのもとにこそ、われらは今ここに集ったというような、それがそこにいる人びとのなかで一瞬つながり共有したような感覚がよぎった気がしたのでした。

私はその時1年生でしたが、それがきっと真実からの答えなのだと感じました。そしてその後の体験の中でその真実に出会っていくことになりました。

1980年代後半という時代でした。

当時はまだ、愛と言えば男女の恋愛、というのが普通の認識だった時代のように感じます。向田邦子さんの小説なんかにも「愛」という言葉はこそばゆい、という表現がありました。親子の愛すらまだ愛とは呼びづらかった時代のように思います。

文明開化の時代から、「芝居は魂だ」という教えはありましたが、このころ「愛」という意識のグリッドが地球で再形成されたのでは、と私は感じているのです。

さて、冒頭の徹子さんの設問です。

蓄積された知識と教養はその人の脳みそとともにこの世から消えてしまうかもしれない。けれどもその叡智への探求のために費やされた努力や献身やその根底に座する愛という体験の記憶は、この宇宙の意識に明瞭に刻まれ永遠に消え去ることなどないのだ、と私は知っています。

舞台美術や衣装やそれを照らす照明の光や、登場人物たちが織りなすドラマまでもが一夜にしてこの世から消え去ってしまってなお、そこに吹き込まれたいのちの息吹とそれを共有し心を震わせた人びとのその愛の振動は、宇宙という無限の意識の中に刻まれ、またいつかどこかで産声をあげる誕生のその時まで、その一隅を照らし続けるのです。

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