今日は六本木ジャズパレスで歌ってきた。 毎回、ステキなジャズピアニストと組めるのでとても楽しい。 楽しいというか、燃える。静かに燃えてる。 それで、帰り道は意気揚々となって歌が止まらなくなる。 中野通りを結構大きい声で歌いながら帰ってくる。 サラリーマンが前を歩いていても気にしない。 歌いながら目に映るのはニューヨークのライブハウスで歌った時の情景。 NYでの日々。 一秒一秒が完璧に生きていて、生きていればいるほど、いつ死んでも怖くないと思った。 完璧に生かされているから、もし死んでもそれは与えられた死、神の御心だ。 生も死も神の世のうちだ。どっちも完璧に幸せだ。そんな感じ。 そんな気分を反芻しながら歌っていると、 今、毎日がそんな日々じゃないことがもったいなくて仕方ない気がしてくる。 芝居を始めた頃、やはり同じような日々を味わっていた。 大学の先輩たちと劇団を立ち上げて、看板女優というポジションで芝居をやっていた。 舞台に立っているとき、自分には何一つ疑問が無かった。 わからないことが何も無かった。 360度、世界のすべてが見渡せる。背中に目がついている。 誰もが予測できない動きをする。でもその動きは的確で美しく人の心をうつ。 そういう確信があり、実際に周りの人たちが心うたれ変化していく。 出演者もスタッフも、観客も。私は確信的にそういう動きをする。 本当にそういうことができた。生きてる実感があった。 あとはどこまで飛ぶか、それだけだった。 次はなんだろう? 私にできることは限られている。 私は演技に必要な才能を与えられている。 洞察力、分析力、心身の記憶力、身体への再現力、身体表現力とセンス、美観、思いやり、 感情のひだの細かさと大胆さ、言葉での表現力、感情と直結した表情と肉体と声、リズム感、 空気を読む力、憑依する力、そのコントロール、直観とインスピレーション、忍耐力、粘り強さ、 集中力、収縮と解放、冷徹さと狂気、緻密さと破壊力・・・・・・。 こういった与えられた道具でこれまで生きてきた。 歌も、セラピーも、この範疇にあるものを使ってできたものだ。 歌う時私は、映画のワンシーンになる。 時によって白人になったり黒人になったりしている。(たまに日本人のままで歌って失敗する) 次はなんだろう? 私を最大限に使って、完全な自分となる瞬間はどんな形でやってくるのか。 いずれにしても、またそうなる用意はある。 12位をキープしてます^^ 人気Blogランキングに参加しています。一日1クリックで応援よろしくお願いします(^^)/~ ここをクリックね~!