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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

気づいてなかったなんて!

意識は気づきによって統合、拡大しています。私たちが真の成長を果たすには、気づくこと以外に道はありません。

私たちの日常の中で、気づきを妨げる大きな要素のひとつに「プライド」があります。誇りというのは本来美しいものです。それは尊敬し讃える気持ちです。ところが私たちの自尊心の中に、恐れからの防御が働くと、それは虚栄心になったりはったりになったりしてきます。プライドと和製英語で表される中にはこれらの意味合いが含まれてくることが多いようです。表面が突っ張って、突っぱねているようなイメージがあります。上手に突っぱねられないと、折れたり、傷ついたりします。

気づきというのは呼吸のように連続しています。宇宙の変化、拡大に身を任せて受け入れていると、私たちの意識も拡大せざるをえません。大いなるものに同調するには気づき続けるしかないのです。

ですが、私たちが自己というものを小さな有限の肉体とか社会の規範に当てはめて、他者の能力などを推測し、それと自分を比べたりするような意識で自分自身と付き合っていると、気づくということはつまり、さっきまで気づいてなかった、ということを認めなくてはならないという立場に立たされることになるのです。これは悔しくも恥ずかしくもあり、また恐れすらわいてくるような事態です。自分の価値が下がったような感じがするからです。

自己というものをそのような存在とみなし扱っていると、気づきというのはめんどくさくてこっぱずかしく、また立場を非常に不安定に、不確実なものにしてしまいます。それで人は気づきに対して抵抗します。すると気づきに痛みが伴うことが起こります。つまり、プライドが傷つくのです。

どうしたら痛みなく気づけるでしょう。

私の場合、痛みを感じるたびに「この痛みの奥にある私の言い分は・・・」と耳を傾けて、それに気づいて手放していきました。これは長く根気の要る作業です。でも人間というシステムを知る上で本当に役立ちます。『マインド・トレーニング』『ニュー・アース』『ザ・ワーク』などにその具体的な様相と取り組み方が言及されています。

今では、世界には自分と神しかいない、ということがわかるので、気づくことはただありがたくしあわせなことでしかありません。メッセージがどこからどんな風にやってくるかというのはあまり問題ではないのです。本当は自己の内面が、内なる神の光によって映し出されているだけだからです。ということは、世界は自分と神しかいないということがとことんわかってしまえば、気づきはぐんぐんとやってくる祝福のようなものになりえます。世の中ではメッセージが流行っていますが、本当のメッセージというのはそういう神の祝福なのです。こんな知っていたはずのことがおなかからわかってなかったなんて!神よ!という感じです。

気づくというのは神というまったき愛に近づく幸せな現象です。そこには本来防御は要らないのですが、肉体次元の自分が自己を保存しなくてはと自動的に反応してしまうのです。ナウシカに対して銃で威嚇する迷子のキツネリスのような行為ですね。ナウシカはみんなを助けたいだけなのに。

すべての人の姿をした、神を秘める幻想がはっきり見えると、その人がたとえ攻撃してるように見えても本当は、自己の内面にある恐れを教えてくれていることがわかります。それがわかったらすべきはただ感謝して、気づいて手放すだけ。

そうなるまではちょっと練習期間があります。できるだけ、積極的に練習すると痛みは早く過ぎていきます。


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