心にもやもやがあるとき、みなさんはどうしますか?
私は内なる神さまに全部聞いてもらい、そしてその処し方も全部お任せしてしまいます。
でもこのやり方をなるほど名案!やってみよう、やってみた、うまくいった!と即座に採用、そして解決に結びつけられる人がどれくらいいるでしょう。
私自身、こんなやり方ではとてもじゃないけど安心できないという長い時間がありましたからわかります。セッションでも本当に長いお付き合いであらゆる意味で癒しが進んだ方でないときっと難しく思えるのではないかと思います。
これは、内なる神をみつけることにコミットメントした人には理解できる方法なのだと思います。コミットメントした人にとっては究極の方法になるでしょう。
そしてもし内面の探究をしていてここにつながらないならば、多くの努力や知識や学びは実を結ばないのではないかと思います。
神は突然宇宙のかなたからやってきて突然選ばれた人の前に現れるのではなく、永遠のかなたから未来永劫いつもでここにある、ということが真理であるなら、私たちはそれとともに生きるかそれなしに生きるかの2択です。
そして前者こそが、あるがままの本来の自然な生き方です。
人が人生に愛を求めるのであれば、私たちは次第にその生き方へと導かれるはずです。なぜならそれなしに、永遠の愛に生きることは不可能だからです。
たとえ今世で辿り着かなくても魂は幾世をまたいでも必ずあなたをそこへ連れていきます。愛を拒絶する限界はいずれ訪れるのです。
私たちの内側には完全なる愛という種がすでに植え付けられていて、光と水と栄養を注がれる許可がおりるのを待っています。私たちはただその許可をするだけです。
どうしてこんなに長いこと、その本当の意味がわからなかったのだろうと思います。どうして自分の欠点とその反対のものばかりに目を奪われてきたのだろうと。そのままで完全であるということの意味がわからなかったのだろうと。
神よ、私は心からあなたを受け入れる時、完全なのですね。
私が愛するものへ、私の愛が足りないところをあなたの愛で満たしてください。
そして私が受け取りきれない多くの愛に、あなたが応えてくださいますように。