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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

すべての対処は愛の波動を高めることから 

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

今日の知念村は離島なみの海の青。

 

今朝は台風の後処理で、家をまるごと洗いました。

今回の台風は雨が少なく風ばかり吹いたので、木々の葉が枯れてしまうかな。

東京育ちもんにとって沖縄の台風と塩害は想像を超えた事象です。

 

それにしても、東日本大震災からの7年を一瞬に感じる中で日本を襲う大水害。

多くの方が亡くなり、多くの方が被害に遭われています。

 

心が痛むと同時に政府のあり方と対応に疑問を、いや欺瞞を感じずにはいられません。

先の大震災以来考え続けてきたことですが、やり方は巧妙というよりはズサンになる一方に見えます。

私たちは飼いならされているのでしょう。

 

為政者は主権者である国民への奉仕者だというところへ立ち返ってほしいと切に願います。

書いていて空しいほど遠くかけ離れたところまで日本は来てしまっています。

 

さて、そんな波動の粗さに不快さと抵抗と、無力感を感じつつも、自らの意識が飲まれないよう瞑想と自己浄化に励み、内なる神の平安へと戻るとします。

 

どんな時も、今ある現状を認め、受け入れつつそれを超えていきたいものです。

 

好ましくない現状を受け入れがたくしている理由としてよくうかがうのが

現状をわかったところで対処の仕方がわからない

です。

 

でも実際はこうです。

『現状を受け入れるという姿勢こそが、愛です。

そして、私たちが「愛」という姿勢をとれたとき、

現状はより愛のほうへと動くのです。』

 

今日はある本を紹介します。RUACHのサイト↓

の「おすすめ書籍」にはまだ掲載していません。

 

実は少し前に、書店にお勤めのクライアントさんがみつけて教えてくださった本です。

私がいつも「内なる神」の話をするので、内なる神について書かれている本がほしい、と願っていたらみつけられたそうです。

 

パラパラとめくってみたら波長が合った感じがしましたので(本を選ぶときに昔からやります。読まなくてもパラパラするとなんとなくエネルギーが読めるのです)私も取り寄せてみました。

 

著者はニューエイジの権化みたいな、フィンドホーンの創始者のアイリーン・キャディ。

内容は読んでびっくりでした。

「あれ、これ、セッションで私がしゃべっていることばっかりだな。」

 

私は思いました。

「瞑想を通じて彼女の学びを彼女のスピリットから伝授されてきたんだな。キャディありがとう。」

 

私は多くのスピリチュアルな学びを洞察と瞑想とセッションから気づきとして受け取ってきました。

それらが私の中で熟成されて独自の進化を遂げています。

ですから自分の中にあるものがこれだけまとまって別人が書いた本にあるのはもう、

不思議を通り越してそうとしか理解できません(笑)。

 

 

本には、愛についての手がかりが詰まっています。

薄くシンプルで短い項目に分かれているので読みやすく、手元に置いて繰り返し読み返すのに適しています。

 

愛の波動を高めよう―霊的成長のためのガイドブック

最近の気づきと7月瞑想会のご案内

更新が久しぶりになりました。

台風のお見舞い申し上げます。南部に最接近だったのですがこちらは停電もなく、被害は少なめだったようです。ご心配くださったみなさん、ありがとうございました。引き続き雨と時折の突風が続いていますが、今日も良き日となりますように。

 

さて、前回の瞑想会は私たちの都合で一周早めて行わせていただきました。毎回、みなさんが持ち寄ってくださるエネルギーによって、いろいろなことが静かに起こります。私自身もテーマを引き出していただけているような、不思議な流れを感じています。

 

最近、セッションをしていて何度も気づくのは、ものごとや出来事の奥に横たわっている本当のテーマが見つかれば、それは解決したも同然なんだな、ということです。でもそれはこちらから見てのことで、ご本人はテーマが出てきたらまた宿題が増えてしまうように感じられる方も多いかと思います。

 

でも本当のテーマというのは内面にある「思い」でしかありません。ですから、その思いを見つけてひかりを当ててあげることができればそれはあるべきほうへ動いてくれます。

 

その変化はある意味奇跡的ですが、その奇跡の贈り主との愛の日々が始まることこそが本当の目的なんだと思います。

いったんそれが始まると、これまでの価値観は一変するかもしれません。これまで目的と思ってきたものは単に舞台装置や小道具に過ぎなかったとなれば、それは人生が変わるほどの変容です。

 

目が覚めるような変容は大掛かりな仕掛けではなく、自分の指先の棘に気づいて抜いてあげるようなことから始まるのかもしれません。

 

今月の瞑想会は22日㈰10時から12時に行わせていただきます。すでにお一人お申込みをいただいておりますので、お席は5席ございます。お問い合わせ、お申込みをお待ちしております。

 

✳7月瞑想会のご案内

 

鍼灸師・ヒーラーの風間真吾と、心のセラピストAZUの主催による瞑想会です。

私たちの施術、セッションの根幹をなす瞑想の時間をみなさんとご一緒に過ごせたらと思います。

 

場所  ルーア心のセラピーセッションルーム

日時  2018年7月22日㈰ 午前10時から12時

ご参加費  1500円

内容  リラクセーション、ヒーリング、ボイスヒーリング、誘導瞑想、瞑想、経絡体操、シェアリングと質疑応答

定員  6名様まで(参加者おふたりさまから催行いたします)

お申込み  お電話かe-mailで、お名前と、初めての方はご連絡先を添えてください。

締切  前日18時までにご連絡ください。

 

 ※駐車場はございますが、狭めのためお乗り合わせてのご参加は歓迎です。

✆098-948-3925

ruach@live.jp

お問い合わせ、ご参加をお待ちしております。

 

詳細につきましてはこちらもご参照ください。

感謝とともに

感じることに悪いものなんてない

「こんなふうに感じてしまうんですが、どうしましょう」というご相談が相次いでいますので、少し思うところを書かせていただきます。

 

感じることに悪いものなんてないと私は思います。

でも、その感じ方は正しいとか悪い、と思い込んでいる考えは問題です。

 

わたしとはなんなのでしょう。考えでしょうか。感じることでしょうか。それとも行いでしょうか。

そのどれかだ、あるいはそれらを合わせたものだという考えは、私たちを肉体に閉じ込めてしまいます。

 

私たちは肉体に閉じ込められてしまうと途端に窮屈で希望を無くし自由でないと感じます。

その閉塞感から抜け出すために、いろいろな欲求を満たそうとしたり、欲求を無視したりします。

でもどちらとも、不自由で不幸には違いありません。

 

セッションではまずは考えていることではなく感じている自分を意識していただきます。

考えている自己よりは感じている自己のほうが圧倒的に優位で大きく、自己といえるものに近いからです。

 

ですから感じている自己(潜在意識)と仲良くなることで、自分を生きることはやりやすくなるでしょう。

 

例えば、誰かと接したときに緊張したり疲れたり嫌な気持ちになったり。

「それが普通だよ」「相手がこうだから」と思っている段階から、もしかして自分にも原因があるのかな、というところへ進み、自分を変えたいと思う。

これは自然な前進だと思います。

そして自分の一方的な欲求や、これが正しい、良いに決まっている、これしかできない、自分が悪い、相手にこうであってほしい、こう思われたい、など自分で設けて自分や他者を量っている自分の物差しを見直すのはすばらしいことです。

 

これだけのことでも世界は結構変わります。

 

しかしここは難しい、どうしてもそうとしか思えない、などの壁がない人はいないのではないでしょうか。

その壁は、変わりたいという意思と相反して、変わることに抵抗したり無理だと諦めさせようとしたり、原因は自分ではなく相手(他者)にあって、自分は変わる必要はないと主張したりしてきます。

 

その原因はと紐解いていくと、それは意識の仕組みにあることがわかります。

原因と聞くと多くの人は、誰かと誰かの間に起こった出来事か、自分や他者がしたこと(言ったこと)のことだというふうに理解します。

お母さんが、お父さんが、彼(彼女)が、配偶者が、お姑さんが、先生が、子供が、などです。

 

しかしそこを見ていても幸せは来ません。何かのせいでこうなってしまった、という因果の犠牲者というものの見方にすでにはまっているからです。

 

私は意識の仕組みのことを思うと思わず興奮します。人間の思考では到底及ばない真実がそこにはあります。

動植物や人間以外の自然の摂理に感動する人は多いと思いますが、人間の意識という摂理こそ、本当に神だと私は思います。

 

変わるというのは本当の摂理に気づき、自分という存在への認識を変えることです。

 

これまでの体験に基づく自分ではない、本来の質が自分の内にあること。

その本質こそが本当の自分だということ。

 

私たちはその真実を受け入れるときに初めて、他者や自分自身の自我から受ける比較や評価から自由になり得ます。

「私はこのように感じている」という現実を、ゆるせます。

同時に相手がそのように感じているだろうことをゆるせます。

 

今どのようであろうと、私たちは神の手の中にいて、神の愛を学んで実践している最中です。

神から見たら私たちは等しく未熟であり愛すべき存在です。

 

そのことは神がよくご存じであり、私たちが誰かに裁いてもらう必要も誰かを認定する必要も誰かに証明する必要もありません。

それはすでにここに大きく横たわって存在している真実だからです。

 

神を信頼するようになると少しづつ、少しづつ、誰にこう思われた、こう言われたということに無意識に同意してしまうことがなくなります。

そう思ったのはその人であり、本当はどう思ったのかすらも不明です。

こうみなされた、と思っているのは自分なのです。

 

そして、私はこう感じこう思うということに、より正直に開いていられるようになります。

そのことを神はよくご存じであり、どのような些細なことでも未熟でみっともないことであったとしても、神はすでに赦しておられるからです。

私たちにできることは、今ここである自分を認め、そして次の一歩を希望とともに踏み出すだけです。

 

こう感じてはいけない、などという思いこそが人間の思い上がりのような気がします。

どんなに卑劣で汚らしい気持ちであってももとは傷つきと恐れから来ています。誰もが持ちうるものです。

そしてその思いをきれいにし、修正し、進歩させてくれるちからこそが、本当の自分なのです。


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