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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

瞑想のこと、瞑想会のこと

みなさんこんばんは。沖縄・心のセラピストAZUです。

11月もはや一週間が過ぎましたがいかがお過ごしでしょうか。

今月の瞑想会は25日㈰の10時から12時に開催いたします。瞑想会、おかげさまで今年も残すところ2回となりました。

ここまで多くの学びと気づきがありました。ご参加くださったみなさま、本当にありがとうございます。今後は継続だけでなく、さらに新しい試みとともに変化していきたいと考えています。

 

瞑想はまず回数と時間です。できたかどうかとかやり方や結果がどうかと迷うよりは、まず座る。乱れても疲れてもまず座る、という習慣が一番です。私は最もそういうことが苦手ですが、でも一度でも内なる平安、内なる光に触れる体験があれば、がんばりというより瞑想そのものがごほうびになります。そういう意味で、瞑想の波動を持ち帰っていただけたらというのが瞑想会への一番の願いです。

 

気づきとは一瞬のものです。言うなれば一瞬にして到達するものです。気づいた瞬間、私たちは真実を悟っています。しかしこの世の時間に戻った瞬間にそれを忘れます。肉体は慣れ親しんだこの世の感覚に戻ろうとします。永遠を悟った次の瞬間、この世の心配事で心を埋めておきたくなるのです。ですから私たちは何度でも悟る必要があります。それが瞑想に時間が必要な理由です。瞑想による悟りに時間はいりません。

 

セッションでもよく、理解はしたけれど日常に戻ったらどうすればいいですか?と質問を受けます。でも潜在意識のレベルで真実に対する理解と同意があるのなら、それに反することを人は自然に選択できなくなります。その時点で感じ方と選択肢が変化しているのです。古い誤った概念にどうしても戻るのだという選択さえしないでおけば。

 

ですから顕在意識レベルで仕組みや成り立ちを理解していることは役立ちます。顕在意識の認識が潜在意識の変化をサポートする役割になってくれれば、変化は無理なくスムーズになります。本当は神がすべてをやります。でも神は私たちの理解と同意を必要としているのです。

 

鍼灸師・ヒーラーの風間真吾と、心のセラピストAZUの主催による瞑想会です。
深い瞑想は私たちを本来の無限の魂の意識へと呼び戻してくれます。
私たちの施術、セッションの根幹をなす瞑想の時間をご一緒にお過ごしください。

場所  ルーア心のセラピーセッションルーム(南城市知念具志堅34-4)
日時  2018年11月25日㈰ 午前10時から12時
ご参加費  1500円
内容  リラクセーション、ヒーリング、ボイスヒーリング、誘導瞑想、瞑想、経絡体操、シェアリング、質疑応答
定員  6名様まで(参加者おふたりさまから催行いたします)
お申込み  お電話かe-mailで、お名前と、初めての方はお電話番号を添えてください。✆ 098-928-3925 ✉ ruach@live.jp
締切  前日18時までにご連絡ください。

※駐車場はございますが、狭めのためお乗り合わせてのご参加は歓迎です。
※お電話かメールにてご連絡ください。よろしくお願いいたします。

 

「すべての人生には意味がある」の本当の意味

よく、すべての人生には意味がありすべての人には生まれてきた目的と使命があるなどと言われる。そんなこと考えたこともなかったという人から、そうだと言われているからそれが気になるという人、あると思うからみつけたいと思っている人、いろんな人に出会う。

 

私は、それをみつけたかった人だ。

そして、その意味をみつけたと思う。

 

みつけたかった頃の自分には数々の思い違いがあった。まず、目的や使命を、かたちだと思っていた。そしてそれは、誰かに認めてもらえることだと思っていた。

 

偉業をなした人を知るには歴史になにかしらの痕跡を残している。それは私たちがそれでしか知る由もないからだ。

 

もしなにかを内側にみつけたとしても、それが誰にもわかってもらえないならそれはむしろ虚しいだけ、というような唯物的な感覚が私には多分にあった。

 

私のように極端でないにしても、多くの人は人目を気にして人目に照らして自分を測って生きている。それがこの世に肉体をもって生まれた人間の本性だ。人間は社会的な生き物であり、それがこの地球のどんなに凶暴な生き物をも凌駕して生き残り統治している主たる理由だ。

 

そのなんとはなしの価値基準の偏差値から少しでもはみ出そうものならそれは叩かれる。良すぎても悪すぎても。或いは強すぎても弱すぎても。

 

そうやって人類は全体を保ってきたのだと思う。

 

人間はその歴史上で、肉体的にはほどんと進化していないらしい。その知恵だけがおそらく人類を支えている。そしてその進化をリードしてきたのはその、少数のはみ出した人たちなのだと思う。

 

変わるということだけが、進化をもたらす。当たり前のことだけれど。

 

はみ出した人はことごとく厳しい人生を送るだろう。生きることそのものが居心地悪く苦痛であったり苦行であるはずだ。もちろん私たちは生きるだけで多くを与えられているのだけれど。

 

はみ出した人は、すでにあるもの以外のなにかを求めるのだろう。

すでにある世界に安住できて、そのサバイバル能力を発揮し謳歌する人が、その延長上以外の何を求めるだろうか。

だから、世界を変える人はいつも異端者なのだ。

社会的成功者に見える人というのはいつも集合的な恩恵を受け取っている人であって、それもカルマの一部に過ぎないのだなと改めて思う。大事なのはその立場や恩恵をどのように使うかだけだ。

 

過去に思い違いをしていた私にはこの辺のことがよくわかっていなかった。

 

成功というのは自分の中の理想を自分のものにしていくことだ。行動の理想、在り方の理想、魂の理想、内なる神の理想を。

誰かに認めてもらうことでも、かたちある地位や立場や物を得ることでもなかった。

 

時々、自分のインナーチャイルドに尋ねてみる。

「ねえ、今の私をどう思う?」

そうすると彼女はクールに言う。

「いいんじゃない?わりとなりたい私になってるわよ」

なんで?

11月に入りました。1年が飛ぶように過ぎていきます。せめてすべらないように、日々精いっぱい生きたいと思います。沖縄・心のセラピストAZUです。

 

人は困難に出会うと、なんで?と考えます。なんで?というワードはセッションでもよく伺います。最近ではみなさん、それでは解決しないということをよくご存じです。向き合うことは何より大事ですが、考えるだけで心の中は解決しないということです。

 

でも本当のなんで?まで行き着き納得できればそれが本当の解決につながります。起こったことだけを見て考えていてもそれはかたちという結果を追いかけているにすぎません。

私は幼少期のトラウマに振り回され人生の前半は地獄のようでした。たぶん、高校や大学、30代も、近くで見守ってくれていた友人にはその言葉が伝わると思います。

30代の頃、大学の同窓会に出た私に「おお!生きてたか!生きてたか!」と声をかけてくれた友人がいますが、その言葉に心底救われるのは、それほどの危うさを理解してくれていた人がいるのだということです。

彼だけではありません。高校の時の落ち込んだ私を知っている友人からも「あの時はその姿を見るのも悲しく怖かったから、なにもしてあげられなくてごめんね」とつい5年ほど前のクラス会でも言われました。

 

でも私は本当に幸せ者だと思います。時間を超えて、私は友人たちの心の中にちゃんといたんだ、と思うからです。

 

もっともっと孤独で傷ついている人との出会いがたくさんあります。それでも今の私と出会ってくださる方々は、自分を癒そうという意志を持ってきてくださる人です。

それだけでソウルメイトと呼んでもいいのではないかと最近の私は思うくらいです。

 

傷ついた自分を放っておいて、自分の放つ毒におかされて周囲を苦しめている人もこの世界にはたくさんいます。

そしてそうなっている時には、傷つけたのは自分以外の周囲であって、原因はその誰か、何かの出来事であるという認識になっているはずです。

過去の自分ももちろんその時期を体験しています。

 

傷ついた人は心の中で、或いは実際に、何かを攻撃しています。それ以上傷つかないためにそうしています。それはこの自然界の生きとし生けるもののやり方で、間違いではありません。当然なのです。

でも、それでは幸せにはなれないし、この世のカルマ、因果を繰り返すだけです。

この自然界の生き物の多くは、幸せを求めているのではなく、与えられた命をただ生きています。人間もそれを見習え、と言う人もいます。それ以上を求めるから傷つくのだ、と。

 

でもそういった様々な考え方は、私の中の何も解決しませんでした。

 

この世の困難が、なんで、私に降りかかるのか。その一番正しい答えは、カルマなのだと今はとても理解ができます。それがこの世の因果律なのです。

自分は人にあんなことしていないのに、私はそうされる、と以前は納得がいっていませんでした。でも、自然界ではそういうことが現実に起こるのです。そしてその因果の原因は、意識というエネルギー界に保存されていて、時間と環境が整うと再生されます。

 

再生される中で、ただそれに反応しているうちは、私たちはまた困難の原因をつくり、それを保存するだけです。繰り返すのです。

 

ある時私たちは気づきます。繰り返している。ちっとも進んでない、と。

 

そして内面を見直し、困難に対して攻撃や防御ではなく、別の道を見出せたとき、私たちのカルマが一つ成就することになります。

 

別の道は、実は一つしかありません。それが愛であり、その愛の源である神を、内側にみつけること、つまり私たちは神の分身でありこの世の因果律を超越して乗り越えられる存在であるということに気づくことなのだと思います。

 

そうなって初めて、なんで?の答えがわかります。困難は、私をそこへ導くための設定だった、と。でもそんな答え、困難の中にある時にいくら差し出されたって絶対に受け取りたくないんです。

 

私たちはですから、幸せにならなくてはなりません。困難の中にあって、幸せになろうとする探究さえあきらめなければ、必ず光を見つけることができます。本当に必要な努力はただそれだけです。そしてそれを怠らなければ、必要なすべてが与えられます。

 

心はそれをみつけるために神に作られています。


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