AZU WORLD

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

レイキ・ヒーリングについてのあれこれ

レイキについて書きます。

レイキというと通常では臼井レイキを指します。

世の中には数多くのエネルギー・ワークがありますが、臼井レイキは大正時代を生きた先達が世に降ろしてくれた「道」であり現代ヒーリングの礎です。

私は複数種のレイキ・アチューメント(伝授)を受け、これぞと思う3種のレイキをお客様に伝授させていただいています。

その内2種は誰もがいつでも伝授を受けられるもので、伝授を受ければ「エネルギー・ヒーリング」が行えるようになります。不思議ですが、エネルギーの原則とはそういうものです。

これを資格のように取り扱っている人もいますが、私に言わせればそれは厳密なエネルギー・システムのことであり、同時にとても神聖なものでもあります。親密になってつきあうか、平行線のままで生きるかの違いだけのように思います。

西洋臼井レイキのマニュアルによれば「レイキは神聖な源からくるものであり」「それは資格や認定書によるものではなく」「悟りへの道しるべであり」「身体とチャクラ、オーラとともに働くエネルギーシステム」で「レイキが私、私がレイキ」となることが目指すべき姿であるとされています。

このエネルギー・システムとともに意識の変容のプロセスを歩んでいくと、テキストに書かれている言葉の深みがどんどんわかるようになります。

伝授を受けてくださる方が一様におっしゃるのは「最初は読んでもさらっと流していた言葉の意味がどんどんわかるようになり、何度読んでも新しく理解すべきことがみつかる」ということです。私自身、まさにそうでした。

レイキの体感について語られることは多いのですが、実際の変容やその兆候については情報が少ないのか、戸惑われる方も多いように思います。

例えばあったかい、つめたい、圧、うねり、流れ、電波、(静)電気、皮膚のちりちり、つんつん、振動、揺れ、など。

またリラックス感、深い瞑想状態と似た感覚、夢をみているような感じ、包まれている、光を見る、ビジョンを見るなど。

これらは伝授中にもヒーリングを受けている最中にも共通して感じることがある事象です。

しかしこれらは単に付随的な現象です。

体感が取りざたされるのは、レイキが不調を治すためのツールであるという理解が一般的だからかと思います。特定の電波が流れて治す、というような。

しかしレイキの本当の目的は、「変化」「変容」です。「成長」と言ってもいいかもしれません。実際のあなたがどのように魂としての前進を歩むのか、それが本題です。

そのプロセスを圧倒的に後押ししあらゆる側面からそのプロセスを押し進めるのがレイキという高次元波動のエネルギーです。

つい先日も、伝授後に「久しぶりに感謝を感じました」とおっしゃってくださった方がいました。

もしかしたらそれは、余りに自然に本来の自分に戻っていくかのような変化かもしれませんが、ヒーリングとはそのようなものなのです。

その本来の自分の状態というのは、ごく当たり前にあるがままの自分を受け入れていて、その自分はこの世にあるべくしてあり、大切な人びとから愛され必要とされていて、愛する力を持ち、存在する価値があり、人生には意味がある、という感覚かもしれません。

それを単に、落ち着く、安心、穏やか、と感じるかもしれません。

また逆にほんのわずかな感覚、小さなことからであっても、脅かされる感覚を覚えれば人は平安であることが難しくなります。あんなに自然で当たり前であったことができなくなるのです。

その時多くは平安に戻ることより問題を解決することに意識が向きます。しかし定期的な瞑想やヒーリングによって本来の自分を取り戻すと、問題の解決の前に、まず平安に戻ることの重要さがわかるようになります。

平安に戻ってから問題に向き合うと、解決はずっと容易になるのです。

(後半は次回。3番目のレイキについてお話します。)

穏やかに、でもどんどん進みましょう!

いかがお過ごしでしょうか。

私はおかげさまでなんとか元気に暮らしております。

私のことを気にかけてご心配くださった方々に心から感謝しております。

本当にありがとうございます。

 

自粛で普段よりゆっくり過ごされている方も多いのでしょうか。

育児で負担が大きいという声もうかがっています。

わが家はなにかと、普段よりもやはり大変です。

とにかくウイルス対策に手間がかかるし神経も使います。

情報収集と考える時間はいくらあってもあっという間に過ぎてしまいます。

気がつくとマラソンしながら一日が終わるように感じる日もあります。

それでもみなさんとのつながりほど、この世でありがたいものはないと改めて思います。

 

大好きなピアニストの森丘ヒロキくんが、#stayhome 期間に入ってからせっせと曲を作ったりアレンジしてYouTubeにアップしてくれています。その中にある7分ちょっとの瞑想音曲を聴いて、30分バージョンほしいな、と思っていたら作ってくれました。

今も聴きながら書いています。他にもかっこいい曲が多々ありますので良かったら遊びに行ってみてください。

このブログを通してこの曲を聴かれる方、瞑想される方に、レイキのヒーリングエネルギーが受け取れるように設定してみました。音とエネルギーがとてもマッチした気がします。

音がスタートしたら内なるハートのスペースと、そこに在る神に意識を向けて「RUACH[ルーア]のヒーリングエネルギーを受け取ります」と宣言してお受け取りください。

(もしかしたら期間限定になるかもしれません。それまでは繰り返し受け取っていただけます。)

 

Facebookでこの曲へのコメント欄を見て意外だったのですが、瞑想って人気ありますね。(笑)

 

RUACH[ルーア]の定期瞑想会も3年目。

毎回本当に楽しくすばらしく実のある会になっていると思います。皆さんが作ってくださる場のエネルギーのおかげです。

毎回みなさんのお話を伺うのですが、やはり最初に多いのは「自分なりのやり方でやっているけれど本当にこれでいいのか」というお声かなと思います。

RUACH[ルーア]では、初めての方からベテランの方までが実際にいらしてくださっていますが、おもしろいのはそれぞれの地点からの発見や驚きがいつもあることです。

 

瞑想をするってどういうことなんでしょうか。

私は「内なる神を礼拝する」ことだと思っています。これは私だけの考えではもちろんありません。本質的にそうであるのです。

神にはあまり興味がない、という方も何度もいらしてくださっています。神に興味がなくても、人生や、或いは生き心地、とでも言ったらいいでしょうか、その質を上げたいという方には大いに価値があるのが瞑想です。

 

魂という言葉はいろいろな意味で使われますが、神と同質である個々の生命のことを仮に魂と呼びましょう。

私たちはただ生きているうちは、肉体が自分であると信じています。そうは思っていなくても、潜在意識では体験上そう信じているのです。

脳は身体の五感を通して受け取った刺激に反応し、それによって自分を認識するため、自分を肉体だと認識するのです。その時、心は肉体に結びついています。

しかし内なる神を繰り返し礼拝することで、神と同質の永遠無限の生命、つまり魂こそが自分だと潜在意識レベルで納得するようになるのです。その時、心は魂に結びつきます。

瞑想で内なる神と同調することを繰り返して初めて、自己意識が「私の本質は神であり自分は魂なのだ」と認識するようになります。

ただ頭で理解しているうちは、理屈と実際の人生がひとつになりません。

私はこうだと思っているけど、現実はそうはなっていない、という風に。

そして、スピリチュアルVS現実というような見方をします。

もし自分を魂だと思っていたなら、スピリチュアルこそが現実であり真実だ、というふうに思えるはずです。

そういう場合になにが足りていないかと言うと、瞑想ということになります。

心が魂と結びついて、魂として生きるようになると、人生は自然と魂中心になります。

人生の選択が神から見たらどうか、という価値基準になり、その価値基準によって選択することに慣れます。

潜在意識にその基準がしっかりと埋め込まれるのです。

 

では実際にはどのように瞑想したらいいのでしょう。

それは繰り返し何度も、そして時間をかけて深く瞑想することです。

その時にただ機械的にやるのではなく、この世でもっとも価値があって貴重で、そして好きな人に会いにいくように行うのです。

この世で最も好きな人に会いたい、と思ったら、一目散にそこへ向かいますよね。

でもそこまで深く好きになるには、何度も会って触れて一緒にいる必要があります。

本当に価値のある存在は、何度も会って触れて一緒にいるほどにその良さを理解できるのです。

そしてその良さを感じれば感じるほどかけがえがなく、一緒にいる時間を愛しく大切に思うものです。

実際に内なる神とつきあうことにはそれ以上の価値があります。

それが心底わかるまで繰り返し時間を作って、長い瞑想が無理でも回数を重ねればそのうちに内なる神があなたを惹きつけあなたを自分の元に呼び寄せてくれるようになります。

 

瞑想は少しでも初心者にも多くの恩恵を与えてくれます。

長い睡眠と同じように疲れを癒し、心を整え、安らぎをもたらします。

自己ヒーリングと同じ効果です。

ヒーリングの力のおおもとである神への敬意や感謝をもってヒーリングすることができればそれは深い瞑想と同じ価値があるでしょう。

 

なんでもそうですが、人は「どうやって?」という点を気にします。方法を手に入れると目的を忘れてしまうことすらあります。

でも瞑想は、楽器や歌の練習と同じように、目標を描きそこに向けて繰り返すことが重要です。

繰り返し練習するというとがまんを連想されるかもしれませんが、なりたい自分に近づく一番の近道がそこにあると思ってやってみてください。

みんなが理解ある瞑想をしたら、世界がどれだけ素敵になるか、考えるだけで胸いっぱいです。奇跡と喜びの連続でしょうね。

新型コロナウイルスに関する対応につきましては、上記サイトのトップページからリンクを貼っています。ご確認ください。

個人セッションはご自身のプロセスを促進し魂の覚醒をお手伝いします。

感謝とともに

AZU拝

今ここで選ぶ豊かさへの道

ダイヤモンド・プリンセス号が今年2月1日に那覇港に着岸してからこちら、新型コロナはすっかり自分ごととなった。すでに3か月あまりが過ぎようとしている。

周知されるまではとにかく勇み足にならないよう気をつけた。そうでないと恐怖を振りまくオオカミ少年になってしまう。

しかしその間もわが家とわが家で営むサロン、RUACH[ルーア]ではリサーチと準備を重ね続けてきた。

 

これは第二次世界大戦以来の人類の歴史に残るであろうイベントであることに間違いない。

それから2か月近く、日本はまだオリンピックを完全な形でやる、などと言い張っていた。不可能だと多くの人が思い始めてまもなく延期が決まった。

この決定はリーダーが思慮をもって英断したわけではなく、世論に引きずられて後追いした。10万円の一律給付もしかり。

 

これはエネルギーの法則とよくマッチしている。

つまり多くの人がなにを思いなにを望むかによって、世界が形作られるということだ。

 

日本は貧しい国だったんだなあと、今改めて思っている。

私はバブル期、ジャパンアズナンバーワンと言われた時代に生きてきたけれど、仮想のお祭りを過ぎて多くの人の心はなお貧しいのだと改めて思った。

 

人々がおかみのお達しを待ち、不条理でも従おうとする。

そして不条理に立ち向かう人を監視し非難する。

主権者が監視し批判すべきはおかみのほうなのに、同志や弱者に厳しい目が向けられる。

 

「お前もひもじい思いをしてみろ」という声も多い。

でもひもじい思いをしたから学べるわけではない。

ひもじさであれなんであれ向き合うことが人を豊かにする。

無知は貧しさだ。権力者も貧しい。

 

私は世間が浮かれていた時代にとても貧乏だった。演劇に魅せられ演劇とともに生きていたからだ。

バブルがはじけてそれまで貧乏をさげすんでいたおじさんたちから急にうらやましいなどと言われるようになった。「好きなことやっていて」「得意なことがあって」いいなあ、と。自分の人生は特に変わっていなかった。変わったのは世間の価値観だけだ。

催眠療法士をやり、タレントと歌、ホステスをして生計を立てて東京で生きた。

他人から生き方についてどうこう言われるのはまったく気にしていなかった。親にも文句を言われないのに他人に言われることなどまったくどうでもよかった。

 

私は、私の思いによって生きた。

一番努力をはらったのは、自分の思いについてだ。

私の中にある思いが常に自分の人生に反映される、その仕組みを突き止めた。

無意識と、潜在意識下にある思い込みがいつも具現化され、理想や希望はいつもそれに敵わなかった。

「無意識に信じさせられていること」

それが私の敵であり闘うべき相手だった。

 

内なる神に目覚め、信頼を築くまでは。

 

愛という法に則って世界が変わることだけが望みだ。

 

その点において私は満足するのだろうか、無念のうちに人生を終えるのか。

しかしそれすらももうあまり問題ではない。

それはいづれ来る。

政府が一律給付を行うのが時間の問題だったように。

(預言が成就して嬉しいです)

 

311は私たちが変わるべき契機だったのに、私たちは変わりきれずにここまで来た。

各々が自分ごとにしなかった。

今回のこれは、自分ごとにしないわけにはいかない。

地球全土で共有せざるを得ない出来事だ。

 

みんなでコロナを受け持つしかないのだ。

例えば沖縄が米軍基地の多くを受け持ってきたみたいに。

福島や周辺の地域が原発事故を受け持ってきたみたいに。

放射能、戦争、そして疫病。

どれも人類が各々受け持つべき課題だ。

今だけ自分だけはもう通用しない。

自分ごととして受け入れるという意識が拡大した時にこそ、真の前進があるだろう。

 

逃げて不幸を繰り返すか、前進か。

 

自分ごとというのは、自分の目の前にあることを受け入れるという意味ではない。

まるごとを自分のこととする、という意味だ。この違いは重要だ。

そうすると全体の重荷が軽くなり、全体が方向づけられていく。

自分のことだけ、としている間は、弱い人が痛みを背負うことになる。

自分が痛みに直面しなくても、誰かが直面する。

 

誰かに起こったことを自分のこととして受け入れ向き合う。

愛という姿勢はいつもそうだ。

 

想像力はそのために人に備わる。

紛れもない神からの贈りものだ。

 

その贈りもの使うのは、今しかない。

個人セッション、瞑想会につきましては公式サイトをご覧ください。

ご自身のプロセスを促進し、魂の覚醒をお手伝いさせていただきます。

感謝とともに

AZU拝


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