オリンピックですね。 やわらちゃん、ママでも金ではなかったけれど すてきでした。 卓球の福原愛ちゃんが大好きです。 子供の頃は泣いてばっかりで困った子だったけど 今では彼女の発する一言一言に釘付けです。 スポーツは、初めに勝ち負けありきですが 後には哲学へと昇華されるから 私たちは魅了されるのではないかと思います。 私はそうです。 どんなことでも極めれば哲学が生まれ普遍性を見出します。 世界で一番になることは誰にでもできることではないから それがすごいというのは確かにあるけれど 誰にでもはできないことを通して 誰もが普遍的な内的体験をさせてもらえるのが スポーツを通して昇華された人を垣間見る魅力なのではないかしら。 イチローは全然私のタイプではない(なんてことを前に書いた)けれど それでも彼から学べることはあまりに魅力的なのです。 彼は能力を最大限に生かす哲学をしつつ それを実験し続けている。 だから彼にとっては 打てる時も打てない時も 共に深い学びがあり どちらもよきかなという境地を 会得しようとしているのではないかと思う。 そうなった時、彼は自由というステージに解き放たれるのであり そうならなければ、彼はどんなに数字を構築したとしても 苦悩からは解脱できないのです。(と私は思う。) やわらちゃんは、恐らくその解脱に向かわれているのではないか。 彼らのもたらす光はやはり偉大です。 金メダルの功績は実はそういうところにあるのでしょう。