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時事とスピリチュアル

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みなさん、こんにちは。

今朝は豪雨で明けました。今年は雨が少なかったようなので、恵みの雨にほっとします。夏以外は毎年様相が違うんだな、ということもわかってきました。

日本はまた選挙ですね。前回の衆議院議員選挙では、もう後がないという切羽詰まった気持ちでしたが、今はもう、その後を生きている感覚です。でも本当に後がなくなるのはこれからなんでしょう。それでもすべては私たちひとりひとりの今における選択にかかっています。日本がいい方に、平和で、豊かに、ひとりひとりの人権を奪われない方向に、と祈っています。

私の育った家庭では、両親ともに政治には関心があったほうなのだな、と振り返ると思います。

私も小3で、水疱瘡で学校を休んでいる間に代表委員というものに決まっていて、それがちょうど、小学校の国会みたいなもので、それ以来ずっと代表委員をし、5年生で副会長、6年生で議長というのをやって、全体のために運営する、という楽しさを学びました。

人にはそれぞれ得意分野というものがあり、カルマがありますので、いろんな人がいて当然なのですが、代表とか権力者とかいう立場の人が、全体の幸せを自分の喜びと思えないと、世界は暗黒に染まってしまいます。

そういう立場を得た人が癒やされていないと、もっと欲を叶えたい、もっと欲しい、になってしまいます。そういう欲は確かに一時的な原動力になはりますが、本当には世界を動かしてはいません。きっかけは欲でも、やってみたら使命のすばらしさに気づけた、となるのがそういう立場にふさわしい器であり健全な精神だと私は思います。日本人はこういうことが分かる人が以前はもっと多かったように感じるのですが、今はもっともっと、という人が多くなってしまっている気がします。そうやって古い毒が出ているのでしょうが、それを自覚していないことはとても問題だと思います。無意識は新たな闇を作り出すからです。

スピリチュアルのある分野では、人類の精神性は過去にもっとずっと発達していたという説があります。或いは、人間の過去はそうでもないけれど、別の宇宙から来た魂は高度な精神性を宿し、人類の進化をリードしに来ている、という説もあります。

そういう説から私たちが学び、活かすことがあるとすれば、私たちはいかに、もっと高度でありうるかを、思い出すことができる、という点にあるでしょう。

結局のところ、人はなぜ生きるか、という問いの答えは、自己をどれほどに知ることができるか、という一点にかかっています。自分を知るというと、多くの人が他者との比較を思いつきますがそうではなく、自分がどんな存在なのか、ということです。それがわかればすべてがわかります。なぜならすべてはひとつだからです。それ以外の切り込み口や外側を探しても、代用することは不可能です。言い換えれば、どんなに回り道をしたとしても、いつか自分の蒔いた種はすべて刈り取らなくてはならないということです。世界に種を蒔いているいるのは自分なのです。

政治の話になると、多くの人があいつが悪いこいつが悪いと言って、あいつに責任をとらせよう、となります。それはこの地球のゲームのルール上は間違っていません。でも、もっと大きな魂の世界のルールでは、すべては連帯責任となります。本当はみんなで決めてやっていることです。元々、そういうルールで地球に来ているし、肉体を離れればある意味、魂もひとつしかないのです。

そういうルールを知ってしまうと、もう、あいつが悪い、とか言って怒っている場合ではなくなります。助けなくては、という気持ちになります。助け方はもちろん優しいだけである必要はありません。叱っても時にはぶっ飛ばす必要も、あるとは思います。強い執着を引き剥がす時には時にはショック療法が効き目がありますから。でも、ショック療法は、行う側にもリクスがあるのです。ケンカの形になればケンカは両成敗になりますし、叩くほうの手もそれなりに痛みます。

そういう役目を負うには、愛情なくしては任務を遂行できません。それには精神の成熟が必要になります。そういう成熟した人が、今は影を潜めているように見えます。おじいさんたちが最期のちからを振り絞ってがんばってくれているようにも見えます。どうも次の世代にうまくバトンタッチできていないようにも見えます。これはやはり、敗戦という価値観の区切りが、極端に人の精神を切り裂いたための分断のようにも見えます。

自分の取り分を主張する目的だけのケンカは、次元の低いケンカです。どうも今は、ケンカはすべてNGとなっていて、愛あるケンカまでもが敬遠されてしまっています。きょうだいゲンカとか夫婦ゲンカって、もちろん自己主張であると同時に、相手にわかってほしい、裏返して相手をもっと理解したい、につながっています。わかんないからケンカするんですが、でも絶対に仲直りしたいんです。もっと仲良くなりたいからケンカします。

で、こういうことを言うと、だから戦争くらいしたほうがいいんだ、などと言ってくるじいさんもいます。でもそれは次元が違いますよ。そんなこと本当に言葉尻捉えて言ったもの勝ちみたいになっている事自体、精神性の低さを感じます。今、国の代表連がそんな感じです。それを真に受けちゃう人も多いというところが、頭で考えて言葉遊びに終始しているんだろうな、と思うのです。

どうせ頭で考えるなら、もっと突っ込んでとことん考えてみるといいのに、とも思います。人間としてなんかおかしい、と感じるところには絶対に理論がありますから、とことんやれば論破できると思います。中途半端で諦めてしまうと、えせ宗教みたいなレベルに落ち着いてしまうこともあります。

小学校の議会では、言葉尻を捉えて揚げ足を取ってくる子って必ずいました。少し勉強ができて、プライドが高くて、人に勝ちたくて、でも深くは考えてないような子です。でもそういう子にひどいことを言われて、カッとして怒ってしまうと負けてしまいます。私は何度もそういう悔しい思いをして、そういう論旨のおかしいところを言葉で説明できるようになりました。元々目的が自分を通そうとして揚げ足をとっているだけなので、理論で覆されるとぐうの音も出なくなります。根底に信念がないからです。安倍首相の発言を見るにつけ、そういう頃のことを思い出します。

私は人生の前半で、とても多く宗教の勧誘を受けました。その時も多くを学びましたが、言葉の意味を聞いているとなにが真実かわからなくなります。いつでも、その奥の意図を聴くように心がけます。するとその目的や方向、また隠されているものも自ずと見えてきます。人が神を語るとき、それは最も純粋な理想を語ることです。それは便宜上使われるものでも他の目的のために利用されるべきものありません。

同じく人が人の世界を動かそうとするとき、最も純粋な理想のためにそれを行おうとする意図が重要だと私は思います。本当に単純すぎて、みんなが諦めかけてしまいそうなことですが。でもその前提なしにはただ混乱があるだけだと私は思います。その前提あってこそ、泣き所や妥協点なども正しく認識することができるのです。

前提は、いつの世にもみんなで声がけしていないといつのまにかなし崩しに消えてしまうものなのだな、と、思っています。


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