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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

神を導く

昨日の続き。 神社の本決定版・神社開運法の中に出てくる概念で気に入ったところがあります。 それは、神を開運する、という概念です。 神さまに開運していただくということでなくて、です。 つまり、人間が神々を率いて神さながらの生き方をする、という図です。 神の力は「おかげさま」=「後押し」なのだということです。 私はこの部分に妙に納得しました。しっくりきました。 精神世界を探求してきてここのところ、精神世界の多数派(そんなものがあるとしたら)に なんとなく違和感を感じていたのは まるで人間が神を目指すのが当たり前のようになっているということでした。 私がここのところインスピレーションとして受け取っていたのは 人間は神にはなれないががんばって目指しましょうなんておかしいんじゃない? 人間にできて神にできないことをするのが人間なんじゃないの? というメッセージでした。 だからこそ、人間はこのままで完璧だと言えるんじゃないか。 でなければこのままで完璧、という真理は矛盾してしまう。 思えば人間とは神の御心を胸に秘め 動物の最先端的立場に立つという なんとも割り切れないポジションでがんばってる生き物だと思う。 私の窓辺の平和な植物でさえ ひとつの鉢の中で必死にサバイバルを展開している。 (寄せ植えをしていた3本のうち1本が枯れたら いきなり残りが元気に育ち始めたのだ。肉体を持つということは過酷だ) 公園でパンくずをばら撒けば、すずめをけちらすハト、横取りするカラス、 何匹も力をあわせて運ぶアリ、一瞬で食べてしまうすずめ・・・ それを見ていろいろなことを思う人間。 私たちもまた奪ったり命をいただいて肉体を保っている。 ごめんね、と思うことをやり続ける。 本当はこんなことしたくないんだ、ということをやり続けて自分が生きる。 そしてある時は小さな蜘蛛の命を助けたりもする。 こんな矛盾に耐えられる生き物ってそういないんじゃないか。 すべての存在に平等に与えることだけができたらそれはらくちんだ。 慈悲と愛だけで生きられたら楽だと思う。 でも結局のところ私たちは絶え間なく罪悪感と至福のあいだを行き来する。 そうでないと言う人がいるならそれは単に何も見えていないだけだ。 私はそういったことを悲観しているわけではない。 人間はあまりの矛盾と不条理を抱えた存在であるがゆえに 絶えずどこかへ行こうとする。 神と原罪と重たい肉体と心を抱えて。 それこそが人間の真の姿であり 神にさえなし得ない奇跡をこの地上で起こす可能性を秘めている存在なのではないか。 どうです?やる気出ませんか? 神みたいに生きようとこころみる人生より 神を率いて己を生きるほうが なんか「今」を生きてる感じするでしょう?ぴーす。


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