「ピンクとグレー」という映画で柳楽優弥くんのセリフに
「それでいいんだよ」というのがある。
それが夫のツボに入ったようで
以降なにかにつけ
「それでいいんだよ」を繰り返している。
その台詞回しは独特で、役柄にぴったりだ。
それでなにもかもが楽になるわけではないけれど
その言葉にはある種の「ゆるし」が含まれていて
そこに小さいながらの解放があるようだ。
映画のネタには事欠かないほどたくさんみているけれど
最近の邦画はすばらしいと思うことが多い、とだけ記したい。
意識レベルが上がっているんだなーと思う。
一方でがっかりするような事象も多く
そちらだけにフォーカスすれば暗澹たる気分にもなるけれど
波動が上がるときには必ず
古い形態は断末魔の叫び声とともに浮上し
その姿を明らかにして去っていく。
低い波動と一体化しているときにはその存在にすら気づけないけれど
上昇すれば、低い部分は変容しなければならない。
引き下げてきたものは
光が当たってしまえばその引力を失う。
そういうことが随所に起こっているのだと思う。
しかし自分の身に起こるととたんに
何が起こっているのかを見失って
事象に夢中になってしまうのも事実だ。
事象に夢中なその瞬間に瞑想するのは難しい。
炎にまかれて揺さぶられている瞬間はせめて祈りたい。
マザーテレサの言葉。
「祈るのが難しいときは、
私の中のキリストよ、私の代わりに祈ってください、
と、願いましょう」
これ、まさに万能。
心が乱れても、内なる神は決して乱れたものを見捨てたりしません。
むしろそういうものを助けるのが仕事なのです。
だからここ一番大変な時に祈れるように
内側の絆を普段から作っておくこと、なのだと思います。
2人でする瞑想=私のセッションも
そんなふうにご利用いただけると幸いです。