19日のオンライン瞑想会にご参加くださったみなさま、本当にありがとうございました。
ご参加くださった方の暖かいお気持ち、この場への愛と感謝のお気持ちを受け取らせていただいています。
正直本当にすばらしい会なのです。
主催である私が自分でそう言えるのは、自分がやっているわけではなくみなさんとみなさんの内なる大いなるものに委ねているからです。
それは瞑想の在り方そのものでもありますし、奇跡講座の学びにも通じています。
小さいけれど完全な美しいお花がみなさんの中央に咲いているように、開催されています。
次回は12月3日㈰お時間を早めて10時の開催になります。
第1第3日曜日を予定しています。
ご参加をお待ちしています。
さて、ここ信州諏訪地域は、温泉の街でもあります。
ずっと以前から温泉大好きだったくせに、こちらに来てからまだほとんど(岡谷のロマネットだけしか)入っていませんでしたが、数日前に夫が「温泉に入りたい」と言い、その直後に聞いたマドモアゼル愛さんの動画で「毒沢鉱泉」のお話が出て、じゃあ行こう、となりました。
愛さんがおっしゃるには、温泉数あれど、こんなに凄いお湯はない、とのこと。
うちから車で10分。ちょっとお買い物の距離感です。
友人のアムリターラの社長、アンチエイジングの鬼の勝田小百合ちゃんも「前から時々行ってます、すごいですよ」と教えてくれていて、ついにそのタイミングが来ました。
毒沢鉱泉には宿が二軒。
どちらも日帰り入浴ができます。
休日の前夜に夫がお電話すると、人気の神乃湯さんはこの日お休みとのこと。
宮乃湯さんは開いているそうなのでそちらに伺いました。
「愛さんが動画でしゃべってたから混んじゃってるんじゃないかなー」なんて言いつつ伺うと貸し切り状態で、家族風呂の形態で入浴できました。
茶色の濁り湯あふれる檜の湯船でいろんな話をしてたくさんのことを感じて共有できて、もうそれだけでも充分に導きであり奇跡をいただきました。
お湯はほんとーうに気持ち良かったし、私はみごとにノックアウトされるほど強烈でした。好転反応を久々にまともにくらった感じです。
そして今も、何かに包まれるような、解されるような感触が全身に残っています。
宮乃湯さんは神乃湯さんより古く大正12年の創業で、ご家族で経営されています。
あれだけの施設となると維持だけでも大変だろうとご苦労をお察しします。
建物の外観はこげ茶の梁と漆喰の白壁が優雅で凛とした佇まいです。
このあたりではこういう建築がたくさん残され、うちの窓からも周辺に数件見えていますが本当に心惹かれます。
それから広いロビーには油絵が飾られ、また多くの人が様々な思いを持って集われた痕跡を感じる佇まいです。
古くは障碍者の方々のために場所を開こうという意図で創業されたと説明があり、バリアフリーを手作りで施工されたそうです。
油絵は「当館出身の天才的画家 故武田謙吉の遺品でございます」とありますがその名ににふさわしいと感じられます。特に女性の表情の描かれ方が美しく非常にリアルです。
とにかくこの諏訪地域にはこういった歴史と文化、芸術的な香りが随所に立ち込めていて、この宿はまさにその神髄的な存在感です。
レビューを読まれるとわかると思いますが、この宿は賛否が非常に分かれます。
でも突き詰めるとお掃除されているかどうか、というこの一点が減点の対象だと思います。
私は自分自身がお掃除されているかどうかがとても気になるタイプだし、どこかを訪れるとまずそこを見てしまうほどですが、よく見るまでもなく、お掃除されていない痕跡が見て取れます。
でも、なんというか、それを超えて「また来たい」と言わせるに余りある何かがそこには強く、色濃くありました。
お察しするに、時代の先駆的な役割を担っていらしたんだろうなと思います。
そして先駆者的な方が多く愛でられてきた場所なんだろうな。
なんだかそういう想念を感じて仕方ありません。
時代というのは、要は意識の推移です。
先駆者が切り開いた道を大勢が歩いたとき、時代が動き、流れます。
栄光が続く先駆者もいれば、一般化されたときにその流れからはじかれてしまう、価値を認められなくなる先駆者もいます。
多くは後者で、だから先駆者はだいたい孤独です。
私の心に流れ込んでくるこういった思いは目に触れたものから察する想像に過ぎませんが、それにしても、貸し切りの温泉で、ご主人ひとりと少ない会話を交わしただけだというに、あの場所はなんて雄弁なのでしょう。
その声々に励まされ、教えられながら、今日も進みます。
このブログを書いている最中に、瞑想会のご感想、ご報告のメールをいただきました。
前回の瞑想会で実は、初めてご夫婦でご参加いただいた方がいらっしゃいます。
私と夫を含めて今回は2組のカップルが参加した形になりました。
これは本当に私の希望です。
愛は、幸せは、平和は、一組の愛に結ばれた人々から無限に広がると思うからです。
瞑想は私たちに、心とはなにかを教えてくれます。
そして自分とはなにかを。
私たちは心です。
心を持つ肉体ではなく、心そのものです。
そのことをはっきりと認識させてくれる最も直接的な方法が瞑想だと思います。
もっともっと、そのことを伝えたいと思います。
みなさん、よろしくお付き合いください。
感謝とともに
AZU拝