2012年が近づいています。 マヤの暦の終末で その後の世界はどうなるのか、というようなことが言われていますが マヤ部族の酋長さんは みなさん、恐れないでください、とテレビで言ってました。 スピリチュアルというものが市民権を得てきているので 世紀末のような終末思想という空気ではなく 希望のようなものを感じますし そこ焦点を当てて前進している方も多いと思います。 ゲリー・ボーネルさん(アカシックチャネラーで心理学者、哲学博士、催眠療法家)は この時期を5次元へのシフトの時期と言っていて 光の12日間と言う現象が起こる、と アカシックリーディングで述べています。 世界のすべてが光って 全部が光で繋がってるようになって みんながそれを見るということです。 ぜーんぜん実感がなくて、へー、と思っていたのですが 最近、あれ、もしかしたら、と思うようになりました。 私は瞑想中に金色のあみあみオーラ (第7層と言われて、万物を一つに繋げる光の次元のようです)が見えて以来 意識をワンネスに向ける時にはいつでも それを見て暮らすようになりました。 これを見ていると 本当に世界は一つに繋がっていると実感するので とても幸せで満ちたるし 自分の意図は完璧に世界に伝わるのだとわかるので 自分の思考や感情や意識のすべてに とても丁寧に向き合うようになります。 プラーナはもちろんなのですが このあみあみをいつも見ていると 心の中で気づきがあった瞬間に プラチナのような、青白い点々の光りが ぱっと飛び散ったりするのもみるようになり ベッドでぼーっとこれらの光を眺めるうちに あれ?光の12日間って これがもっとぜーんぶ光になって ずーっと、みんなの中に起こるような感じ? と、ふと思いました。 あるヨギの自叙伝を読んでいても 世界のすべてが光だという場面を ヨガナンダが目の当たりにするところが出てきます。 マスターと呼ばれる彼だって 生きている間はそれにびっくりしたりして いつもそうで、当たり前だったわけではないんだなと思います。 だから、地上の人たちがいっせいに 万物の組成が光だという次元を 目でみるようなことになったら それはすごいかもしれないな、と思ったのです。 ゲリーは、その時までに 多くの人が葛藤を手放す必要があると言います。 私もそれにはとても賛成です。 葛藤は苦しみと言ってもいいと思うのですが 葛藤があると 人間の脳の状態は ファイトorラン(戦うか逃げるか)という 肉体存続のための本能にフォーカスが行ってしまって 3次元に縛られてしまうからです。 3次元に縛られていると 当然のことながら 5次元(愛や光の次元のほう)へは行くことができません。 金色のおみあみオーラは 心が静かだとくっきりと見えます。 頭が思考に行ったり 何かの考えに気をとられているときは 少し薄くなります。 現実的な、例えばお買い物なんかに集中していると もちろん見えません。 それは、見ようという意識がないからだと思います。 お買い物をいったん置いておいて ワンネス(根源なる神)、と思うと見えます。 余談ですがセラピーではよく、多くの人が 今の状態になった理由を知りたいと思っています。 確かにそうです。 今こうであることには原因があります。 因果律は宇宙の法則です。 ですが、理由を知ることで安心しようとするのは 人間の思考(表面意識)ですので 安心するのは意識全体の100(万)分の1に過ぎません。 それでは癒しは起こりません。 潜在意識の部分で納得し卒業する(手放す・赦す)ことができて初めて 癒しが起こります。 原因探しは、葛藤の延長でしかないので 結局は救いにはなりません。 あなたは前世でこんなことしたから、今こうなんだよ、と言われても それだけでは癒しが起こりません。 そのことを自分で思い出して、共感し、赦すことで そのカルマを卒業できます。 で、おもしろいのは 悲しみとか怒りとか いわゆるネガティブな感情とみられている状態にいる時はどうかというと ちゃんと見えます。 ブルーな時、浮かない気分の時 ああ、こんなんじゃあひとつに繋がれないかなぁと思っても そんな中で、光よ、助けて、と思えば ちゃんと繋がります。 でも、それを悪いものとみなして その状態を何とかしようとして あれこれ理由を考えたり 抵抗して抑えつける状態が続くと やっぱり薄くなっていきます。 つまり、批判や葛藤なしに ただ感情を感じている状態、受け入れている状態では ネガティブか、いい気分か、などの浮き沈みは あまり影響せずに光の世界に戻ることができます。 つまり、苦しいときには 光という高い次元、または大いなる(ワンネス)ものに ゆだねておまかせしてしまうと 葛藤という次元から救われてしまうということだと思うのです。 感情は感情でありネガティブかポジティブかというのは 単なるレッテルです。 ですが、葛藤(苦しみ)をもたらす考え方というのはあります。 それは、何か(誰か)外側にあるものが このような感情を私にもたらしたのだ(原因は外側にある)という考え方です。 そうすると私たちは、それを解決するためにはどうしても 外側にある要因と戦い続けなければなりません。 あの人が、あの会社が、この家族が、この病気が、不幸をもたらしている。 それをしていると究極この不幸は あの人か、この身体がなくならない限り消えることはありません。 これはネガティブな場合だけではありません。 この幸せ、という言葉に置き換えることもできます。 この人が、この地位が、この会社が、この財産が、この才能が、幸せをもたらしている。 当然ながらこの場合の幸せは 失うことへの恐れと抱き合わせになっています。 ネガティブ、というのはポジティブと同じだけ存在しています。 私たちはサバイバルモードの中にいる時 ついついネガティブばかりに目を向けがちだから いやいや、反面はポジティブなんだよ、ということで ポジティブに目を向けることは大事なのですが ポジティブな側面だけを見るなんてことは 一種の強迫観念みたいなものだと思います。 ポジティブだけで生きようとすることは なんだかとっても薄っぺらく ウソがあり 抱き合わせのネガティブから逃げるために いつも急ぎ足でその場を立ち去っているようなものです。 本当はどっちも幻想です。 どこにいてもどんな状態でも 目をぎゅっと閉じて 心の目を開いて 中心に戻ってくることができれば 真実の光がそこにあります。