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今年は芝居をやるかもしれない

1999年以来、芝居をやっていない。 芝居は私を飛ばせてくれる翼だった。 高校生の時、私が女優の道を選ぶと決めると 父はよく劇場へ芝居を観に連れて行ってくれた。 父は、父親としてとか社会人としてはとても褒められたものじゃないけど (本当に問題だらけだ。いまだに) 役者として、芸術家として最高にすばらしい。 こう言うと父は心底喜ぶだろう。 そういうところがすばらしい役者なのだ。 親としてだのなんだのの評価など本当にどうでもいいのだ。 父は私を【作品第一号】と呼び、まあまあいい出来だと思っている。 私のパーソナリティーなどはどうでもいい。 ただ自分の作品としてまずまずの出来だと思っているのだ。 というか、人間としてどうとかいうことが彼にはわからない。 作品としてどうかということならよくわかるのだ。 私はそういうのをある意味でひどいと思い、ある意味誇りに思っている。 私の家族はそういう人種なのだ。 そういう人種というものがあるとすればだけど。 父は高校生の私を、紀伊国屋劇場だのあちらこちらへ連れて行き 芝居がはねると舞台へ上がって行き舞台袖を通り、 関係者入り口を入って楽屋の役者さんに会わせてくれたりした。 その時から今でもずっと、私は舞台袖が大好きだ。 舞台袖にはお化けがたくさんいて 役者の魂を観察している。 袖で出を待ってる時、仕込みの時、場当たりの時 私はその視線をビシビシと感じる。 志が低いとお化けは足を引っ張って、事故や災難を起こす。 志が高いとお化けは喜び、後押しをしてくれる。 照明をさらに美しく神秘的にしてくれたり バックにありもしない幻想的な映像をお客さんに見せてくれたりする。 これは本当の話しだ。 劇場の重たい扉を押し開けながら父が高校生の私に言う。 「みお、芝居ってなんだと思う? 劇場へ入る前と、出て行く時では その人の人生はちょっとだけ違っているんだよ」 開かれた扉の間に滑り込みながら 私の人生はもうちょっとだけ変わっていたのかもれない。 芝居をやる時に私は、舞台袖のお化けにだけは嫌われたくないと思う。 人間になんてどう言われたっていい。 人間の評価なんか気にしていたらいい芝居なんて創れない。 世界広しと言えどこういう商売ってあまりないんじゃないかな。 でももし芝居をやっていてお化けの存在を知らない人がいたとしたら その人は間違いなくもぐりだ。 芝居はお化けのジャッジを受け、洗礼を受けて 最後に劇場の神さまに献上される。 そんなふうに創られるからこそ、 人間の人生をちょっとだけ変えるなんてことができるんだと 私は信じている。 みなさんのおかげでただいま21位に上昇中!! 人気Blogランキングに参加しています。1クリックで応援よろしくお願いします(^^)/~ ここをクリックね!


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