鏡の前で瞑想していると、身体の周りを光が取り囲んでいるのが見えます。
私は普段から世界が金色の網目で満たされ繋がれ構成されているように見えているのですが、同じような金色の網目が頭の周辺は濃くなっていて、よく宗教画などでイエス・キリストやブッダ、仏像のあまたの後ろにある後光にそっくりです。
セッション中はクライアントさんの頭の周りにそれをよく見ています。相手の方の後光を見ながらセッションしているのは素晴らしい気持ちです。今たとえどんな問題がその人に訪れてどのような状態になっていようと、それはただの現象であって、本質はどなたも光、神、愛です。
先日鏡の前で瞑想していて、身体の両サイドになんだか人のシルエットのような光があるのを見ました。両サイドに光の身体のガイドが立っていてくださるようにも見えます。
それを眺めているうちにそれはよく大天使の羽として描かれている大ぶりの翼のようにも見えてきました。おおぶりの翼は関節のようなところがてっぺんに丸く飛び出して描かれています。あそこがちょうど頭で、ベールをかぶった人の姿と重なる感じなのです。
それで私は、最初に天使を描いた人はこれを見たのではないかと思いました。
今そのビジョンを思い出しながら書いていると、ガイドのような人は私のバイブレーションが光に投影されていたようにも感じられます。それで、私の残像が両サイドに映って私の目に見えたのかもしれません。瞑想しているといろいろなことが知識を超えてふとわかったり納得したり新たに知ることがあります。
ガイドも天使も神も、すべては私たちのひとりひとりの意識の内側に在る。すると私たちが無限の可能性を秘めた存在だとわかります。その内なる秘められた私自身に日々出会っていくのが人生のようです。