AZU WORLD

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

愛燦々

みなさんこんにちは。 AZU WORLDにとてもたくさんの方が訪れてくださり感謝しています。 私は人間とスピリチュアルの道を探求していますが 多くのスピリチュアル業界の方のように ふわっとやわらかく甘い感じ、とか、 こうしていればうまくいく、みたいなことを書かないのに それでもAZUさんの言葉は温かいとかやわらかいオーラだとか 優しい、とかおっしゃっていただき 本当にありがたく思っています。 私は人間が幸せである道を求めています。 たまたま条件よく、とか運よく、ではなく すべての人にそれが用意されていると確信しているし そうでなければそんな幸せは偽者だと思っています。 最初の入り口は心です。 多くの人が、感情というものすら恐れていますが 感情を克服するためには感情という領域と親しまなくてはなりません。 感情を克服するというと、感情を制御するというイメージを持たれるかもしれませんが それは違います。 感情は内なる神を感じるために存在しています。 喜怒哀楽というものは美しいものです。 それはちょうど、川の流れが美しいのと似ています。 美しい川の流れを眺めていると 心が洗われたり、また悠久の時というものに気づきがもたらされたりするでしょう。 感情の流れというものもそのようなものです。 ところが、川の流れが一部不自然に淀んでしまうと 水が汚れ、腐敗してしまうことがあります。 人間の感情もそうです。 ネガティブな感情のように表現されがちな「怒り」や「悲しみ」は それ自体は自然で美しいものなのに 無理にそれを押さえつけたり、流れ出ないようせき止めたりしていると 淀みができ、膠着し、腐敗してしまいます。 するとそれは「うらみ」とか「くやみ」というものに変質してしまいます。 怒りは良くないもの、と言われる場合の怒りは 原因を外側のなにものかのせいに押し付けたりするときに生じる あいつのせいで私は・・・・というような「うらみ」の感情を指しています。 仏さまも、例えば餓鬼畜生のような状態の心に対しては 怒りの形相で立ち向かうことがあります。 本質はひとつである仏の御心も 時と場合では叱ったり、ゆるさん、という風にして 人間の心に潜む「迷妄」というものを一喝して去らせることをします。 神や仏の怒りの奥には悟り、愛、光以外は存在しませんが 私たちの次元に降りてきて私たちの目にそう見せています。 ですが私たち人間の怒りの奥には浄化されざる利己心が隠れていることが多々ありますので 怒りはいけないものと総じて言われています。 でも本当を言えば、怒りという表現の奥にあるものだけが重要であり 怒りそのものを恐れていては、霊的に前進できません。 私は以前キリストの怒りが好き、と書きましたが あんなこと書いて大丈夫だったろうかと時々振り返っています。 でも、どうしても、やっぱりそれは大丈夫なんです。 厳しさ、という愛はとても高度な愛です。 間違いやすくもあり、誤解をさしはさむ余地のあるものですが この地球の二元性の世界で成長するためには 絶対に必要なものだからです。


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