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論争

私は小学校3年生の時に、水疱瘡で学校を休んでいる間に 代表委員(小学校の児童会の議会を運営する人)に選ばれて以来、毎年委員をやり 5年生で副会長、6年生で議長をやるという、代表好き。 とにかくみんなのために、が好きだった。 けれどおかげでたくさんの挫折もした。 みんなの気持ちというのが一筋縄では行かないのも身に染みている。 友達からは、体制の犬呼ばわりされ 先生たちからは、大衆を扇動する危険分子呼ばわりされた過去もある。 子供ながらに議論が得意。 弁が達者で口げんかで負けたことがない。 けれど、いくら弁論で勝っても みんなの心がついてこなければ、結果は伴わない。 みんなの代表に選ばれたかと思うとみんなから引き摺り下ろされる。 正しいことがまかり通るとは限らないし 正しいことが正しいとも限らない。 そういう虚しさを中学生までに体験したおかげで 高校生から先は、永遠の真理への探求が始まっていた。 今ひとつの命題があって 原発というものがどうなっていくのかに注目している。 賛成の人と反対の人がいるので 全員の希望が通ることはない。 それから、その議論に参加したくない人も大勢いると思う。 でもみんなが参加しなくても、ことは動いていく。 こういうことにはつまるところ 絶対に正しいひとつの道はなく どちらの選択にもふさわしい結果が伴うだけだ。 原子力、核のエネルギーというものを探求するのは 人間が探求の生き物である以上、本質的に避けては通れないものだということもわかる。 ただ、どちらの道にもある純粋な意図を利用して 大勢に真実を隠し、一部の人が利権にあやかるような なんとも古臭いコントロール支配の体制を いい加減脱却してもいいんじゃないかとも思う。 昔から、芸術家はパトロンに頼って能力を伸ばし開花させた。 科学だってそうだと思う。 科学者の純粋な探求の成果が国家というパトロンに利用されるなんていう話は 珍しくもなんともない。 その構図がいけないことだからというのでなく 科学や芸術、経済などの前進と同じように 人間の霊格も前進していい時期に感じた。 議論というのはつまるところ 頭の体操みたいなものだ。 戦いから本質は見出せない。 こういう理由で私はこれがいいと思う、といくら言ったところで 相手にも言い分はある。 そういう同次元での論争からいちぬけするという道が 次元が上昇する、という意味で 一番の前進なのかもしれない。


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