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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

貧困と飽食とほんものの神さま

今日は少し噛み砕いたお話。

最近一番心が揺れたことです。

 

テレビを持っていないわが家ですが、夫が鍼灸の訪問をしていて、たまにニュースを持って帰ります。「インスタ映えのために食べ物買って、アップしたら捨てちゃうのが流行ってるらしいよ」

・・・言葉を失ってそのあと泣きました。

 

おなかいっぱい食べられないこどもが日本には大勢いるというニュースはただでさえ心が痛みます。

沖縄はさらに3人に1人が貧困家庭に数えられるということが、元県知事翁長さんの調査で明らかになっています。

 沖縄で近年、社会問題として大きくクローズアップされているのが子供の貧困だ。県が推計した子供の貧困率は29.9%で、全国平均(16.3%)の2倍近くに上る。観光客数が過去最高を更新し続けるなど好景気に沸く一方で、「貧困の連鎖」が子供たちの未来を脅かし続ける現実。

沖縄知事選:子供の貧困 未来に影 - 毎日新聞

自分には障がい者の弟がいて、それももはや50歳を数える立派なおっさんなのですが、自分がおいしいものをいただいたり物質的な豊かさを受け取るたびに、不自由している弟のことが頭に浮かばないことはありません。

 

自分ががんばるための口実として、弟の存在は常に私の中にありました。これからもそれはあり続けるのだろうと思います。

 

よく浅スピ(そう呼ぶことにします)の間では、そういう同情心があることが豊かになれない原因だというようなことが言われます。私もそうかもしれないといろいろ探究してみましたが、結論それはとんだお門違いな考えだなと理解しました。

 

豊かになれない原因は共感や同情心があるせいなどではありません。共感力や同情心の大きい人は、他者の言動に影響を受けすぎ(反応しすぎ・応えすぎ)て、自分のエネルギーを散漫にしてしまうためです。優しい人が損をするというは、ほとんどそういうケースです。ですから敏感な人は自分の取り扱いに対して人一倍愛を持たなくてはつまづきが多いのです。

 

インスタ映えのニュースを聞く数日前のこと、こども食堂のことが気になって調べてみるとなんとうちからかろうじて徒歩圏内の距離にある教会にそれがありました。うっかーやうがんじょやグスク以外で行けるスポットがなかった私には驚きでした。

 

その上、この牧師さんのブログがおもしろすぎて思わず読んでしまいました。

自分にできることってなんなんだろう。

当たり前すぎる問いかけですが、そうせずにはいられませんでした。

 

自分とあと一人、幸せにするためにがんばれれば、この世はすばらしい。

私はそう思っています。

私は夫という人を思い切り幸せにしたい。

そのためには私が幸せでなくてはなりません。

私を幸せにすることが彼の幸せだとわかるからです。

 

 

その指針があって初めて、幸せのヒントを誰かに伝えられると思っています。

 

もし自分にこどもがいても、同じように努力したと思います。

こどもはきっと私の生き方をヒントに、自分の幸せを求めて生きて行ってくれると思う。生きていくちからを培ってくれると思う。

 

貧困とは何なのか。

日本が経済大国になるちょっと前は人々はどんなだったのか。

 

人の歴史の中で、発展には順番があり、全部一度には叶いません。

でも一つ叶ったら、一番大事なものにいつも戻って確認しないと人はすぐに忘れてしまう。

 

こどもにとって何が幸せなのか。

 

祝福されて、自分には存在する価値があり、この世は精いっぱい生きる価値があると思えるような、そんな世界であれば、私はいいなと思います。

 

たとえ少しおなかがすいたって。

 

でも祝福されず、価値を認めてもらえず、がんばる力がわかない上におなかもすいて、誰も助けてくれないような世界は地獄です。

 

お父さんとお母さんは、こどもがこの世で最初に出会う、体温のある神さまです。

 

その神さまが仲良く助け合い、平和を愛する姿をしていてくれればこどもはきっと、希望を受け取れると思います。両親が自分のことにばかり必死で、家族内で争いに明け暮れていたら、それは地獄の一丁目だと思います。

 

それがたとえ、こどものため、暮らしのためだったとしても。

 

私が人に本当に伝えたいのはやっぱり、愛があれば、がんばれる。平和なら希望が持てる。人は良きことのために存在しているし、良きことのためなら自分以上のちからが出てくるということです。

 

霊的成長とか神と言っているのはまったく同じ意味であって、それ以上のことではありません。

 

そして、その根幹は、おうちの中で作られるということ。

 

おうちという王国で、人間の姿をした王さまと女神さまがなにをしているか、どのように生きているのか、というのがお手本になるということです。

 

おうちの中に平和を見つけられず、悪いお手本しか与えてもらえなかったこどもは、別の神さまを見つけなくてはならなくなります。その時、ほんものの神さまがみつかるといいなと思います。

 

そのこどもは自分をまず見直して、悪いお手本から身についてしまった悪い癖、例えば自分は愛されない、価値がない、希望がない、どうせ無理、というような思いから、自由になる必要があります。それらはすべて、ほんものの神さまが人間にあらかじめ用意し与えた愛です。ほんものの神さまが与えてくれるものです。

 

本当は、おうちの中の神さまに失望するからこそ、ほんものの神さまを人は求めるのかもしれません。だから反面教師はきっと、神さまが与え、魂が選んだに違いないのです。反面教師を恨むのはお門違い。ありがとう、反面教師の役を引き受けてくれて。おかげで私はもの凄い早さでほんものの神さまを探すことができました。

 

そんな赦し方もあるのです。魂の世界では。

 


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