インナーチャイルドと向き合うって、人によってはしんどいことです。自分はそのタイプだったので、そういうクライアントさんの気持ち、わかります。
その時々を丁寧にがんばって生きてきている分、その梱包をわざわざ開いてまたかき回すようなことは全然したくない、という感覚だったり、
せっかく治った傷をまたほじくり返すのか、というような感じもするかもしれません。
もっと別の、画期的な解決法があるはずと、ものすごい遠まわりをされている人も大勢いると思います。無駄ではありませんし、一つ一つの体験はなにも間違いではありません。ただ、
それらを統合する場所は、インナーチャイルドです。
インナーチャイルドを心の傷、ごく一部と捉えてしまうとなおさらそこは見たくないでしょう?でも本当はそうではなくて、潜在意識そのもの、今世この肉体で体験とともに築いた土台そのものなのです。
プラスもマイナスも全部まるごと含めての、自我そのものです。
私はエゴ(自我)が嫌い、私はもっと尊い、というような気持ちも人の心にはあります。
確かに私たちの奥にはもっと崇高な自己意識、ハイヤーセルフやキリスト意識、内なる神があるのですから、そっちのほうがいいや、と感じるのです。
でもそう感じているのもエゴなのです。高次の意識そのものは決してそんなことは言いません。
ですからそれは、自我と自我の対立であり、分離の傷なのです。そうすると心は人間が嫌い、自分も嫌い、と感じます。
でも人間が嫌いだと、結局その奥に在る神さまが見えませんし、まず神さまを喜ばせる一番の仕事である「(無条件に)愛すること」ができなくなります。
すごいジレンマだと思いませんか?神や愛を好きなはずだけど、神に背いているという恐ろしい孤独。自我の分離は結局、神との分離でもあります。
私たちは自分を愛さなくてはならないのではなく、一番身近なものを愛することによって、神を、愛を、体現するのです。
人間の持つあれこれをあるがままに見てよく知って受け入れてまるごと認めて、そういうことが、神の愛をもっともっと心に入れて、自我のあれこれの奥深くに、細胞の一つ一つに、DNAや原子や素粒子にまでその波動を浸透させていくことになるんです。
だから私たちは、インナーチャイルドに必ず戻るのです。戻ってこないならそれは自分のものにしたこと、マスターしたことにならないからです。つまりそれなしにアセンションもないのです。