感受性が高い人はそれだけ心の防御力を強めています。
そうしないと壊れるからです。
でもそれは、生きてるだけでなんだか大変で疲れることです。
強い防御の向こうにはいつでも強い敵がいます。
実際にはそうでなくても、心はそのように想定して生きているということです。
トラウマや毒親はもちろんインナーチャイルドに影響を与えるものですが、そもそも感受性が高いということは、周囲からのエネルギー(刺激)をキャッチする能力が高いということです。
ですから良きも悪しきも多くを吸収します。
そして若いほどアンテナは敏感だし、生命力が旺盛な分反応も大きいし、同時にキャッチした情報の処理法がわかっていません。
人間が生物である以上、優先度が高いのは「危険を避ける」ことです。
そういう意味で、有用度が高い情報とは「危険をはらむもの」です。
感受性の高い人が良くも悪くも吸収しやすいはずが、結果としてネガティブなエネルギーの影響をより受けやすいのはそういった仕組みのためだとみられます。
トラウマにも毒親にも思い当たらない、或いは解決して今は平穏だ。
生活環境も整って安定している、家族も円満。必要なものはすべて持っている。
だけど、喜びを感じていない。そういう方が最近増えています。
「喜び」とはどこにあるのでしょうか。
それは心の中、意識の内側だけにあります。
もっとはっきり言えばそれは「霊的成長」の中にあります。
無感覚、無感動とは霊的停滞なのです。
感受性が高い人もそうでない人も、生きやすい人もそうでない人も、誰もがしあわせを求めています。そしてそれを求めてなにかしらの行動を起こします。
そのしあわせが「環境」であり喜びは外からの「刺激」によってもたらされると、自我は漠然と、しかし強固に信じて前進します。
その正体は承認欲求です。
承認された、という喜びは自我にとって一番必要なものです。
食べ物であれ衣服であれ住まいであれ美であれ健康であれ能力であれ権力であれ「手に入れる」ことで承認を得られたと自我は理解しています。
生まれたての赤ちゃんにとって大事なものは、親から承認されていることです。
それがなければ命を保つことができないからです。
実際に多くの人が最初に受ける心の傷は「お母さんがよく見ていてくれない」ことによる不安です。多くは不可抗力で、誰にも罪はありません。
あれこれという劇的な出来事よりも、そのことのほうが重要で実際的なのです。
自我が信じている世界の危うさ、根拠のなさは、意識の仕組みがわかるとみなさん納得されます。3歳までに与えられた刺激がその主たる基礎だからです。自我の世界は三つ子の魂百までなのです。
その先を体験しませんか?3歳から先の可能性を。
前世になにをしていたか、ではなくて、それによって何を知り、今なにを求めているのか。
幾千の転生をしてまで魂が知りたがっているその先を。
私たちにはそれがすでに許されています。
自我を超えて真我を知った時、人には無限の可能性が広がります。
自我の作った家庭、自我の作った社会を超えて、真我が導いてくれる世界を生きてみませんか。
それが、愛によって廻る世界です。
ハイヤーセルフとつながるというセッション、まだまだ受けてくださる方は少数です。
また、ライタリアンレイキもそうです。
霊的な探究と成長の材料、道具、また叡智そのものが、地上に降ろされています。
どうかお使いください。
あなたの感受性は、周囲の雑音をキャッチするためにあるのではありません。
愛と叡智をキャッチするために神が人間に与えたものの中で最上のものです。
私はそう確信します。
私も日々、全力で探究を続けています。