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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

今に至る個人的情景

心には力がある。心にしか本当の力はない。

本当の力だけを「実在するもの」と呼ぶ。

これが奇跡講座の根幹だ。

「奇跡講座の」という表現は本意ではなく、「それが真理だ」と本当は言いたい。

 

私と夫は、人の治癒のお手伝いを生業としている。

かれこれずっと、これでご飯をいただきこれによって生かしていただいてきた。

 

夫はからだを治す術として、国家に認められている「はり師、きゅう師」の資格を持つ。

鍼灸は中国を起源とする、数千年の臨床結果に基づく医学だ。

 

しかし動画などによく見るような、このツボに刺せばこの病気が治る、というほど単純な仕組みではない。

とはいえ、鍼灸にはその場で痛みをとったりもやもやや不安感を消したり現代医学には相手にしてもらえないような不調をも救ってくれる。

 

私は夫と知り合うよりずっと前から鍼灸にお世話になり助けられてきたし、彼が学生の時から練習台になりながらもありがたく体調を整えてもらい、今も夫の施術にはお世話になりっぱなしだ。

 

でも夫と知り合ったのは音楽の仕事場なので、最初から鍼灸ありきで出会ったわけではないから、この世は不思議だ。結構長い間、夫は私のことをシンガーと認識していた。

 

なぜ自分に鍼灸が必要だったか。簡単に言えば生きるのに必要だった。

私にとって必須だったポイントを少し書きたい。

 

まず、だいたいいつも具合が良くない。

どこかにいつも不調がある。

これはもう、小学生くらいからそうだった。

母からいつも、うちの子は弱いと言われ育った。

祖母譲りの民間療法やサプリ、漢方など与えられて育ったが一向にほとんどなにも効果がなかった。

明らかに問題があって病院で検査してもなにも引っかかったことがなかった。

引っかかっても再検査すると消えている。誤診なのかなんなのかわからない。

なので、対処もなかった。

唯一診断されたのは非常に低血圧で、高校生では血圧を上げる薬を飲んでいた。

その頃にはもう日常を送るのがとても苦痛で死にたいと思うようになっていた。

あとで振り返れば控えめに言って摂食障害と鬱だった。

 

大学が芸術学科で私のような(敏感な?過敏な?傷ついた?病んだ?)人は他にもいるし、むしろ人としての痛みを負った人を受け入れてくれる先輩、同輩、そして先生に恵まれた。

それから、演劇の訓練の中にある野口体操と出会い、先生方が当時通っているという話で「整体」という分野があることを知った。

(まだ今のように一般的ではなかった)

 

野口体操はイメージをそのまま体に連動させる哲学的な肉体訓練で「感覚」と「表現」の間の経路をつなげてくれる。

思うに、人はこの経路をつまらせている。

感じたことをただ蓄積する一方で溜め込んでいる。

でもそれらは使われれるべきエネルギーであり、表現され、発散され、消費されるのを待っている。

これができれば誰もがある程度健康になるのではと思う。

 

それから学内で旗揚げされた劇団で、感情の解放、記憶と体とつなげ、呼び出すなどの訓練を重ねるうち、癒されることを実体験していく。

感情とは記憶であり、記憶のエネルギーなのだということを当たり前に理解した。

 

記憶は使うために保持される。

感情は伝え、共感するための道具だ。

 

そして演劇史の授業では「演劇の目的とはカタルシス(浄化)である」と、言葉そのままに習い、演劇の起源は祭りであり、祭りとは神に捧げる神事であると習い、「芝居は魂だ」というふうにも習った。

魂というのは学問であり探究するにふさわしい概念だということを理解した。

そして自分が演劇を通して再生するのは目的と理に適うことだということになんの疑いもなかった。

こうして神にも魂にも意識の浄化にも、出会ったのは大学の授業を通してだった。

 

舞台に立つ人や演奏などの従事者は多分ほとんどの人が鍼灸を利用していると思う。

舞台は微細なコンディションによって仕上がりに大きな違いが出るし、長い稽古を経ての本番と、体力はもちろんだが神経も使う。

どこまで微細な音を奏でられるか、それは自分が自分をどのように扱うか、自分をどのように見なすで決まる。

本当にそれとの闘いだと思う。

そこには多くの助けが必要であり、関わる全ての人のちからと思いを背負って立つのが表現者だと思う。

 

私は扁桃腺肥大を先天的に持っていて、喉も壊れやすかった。

ずっと「声」を使う仕事をしていて(演劇、歌、それからヒプノセラピーの誘導もそうだ)声のコンディションを保つことにいつも神経を尖らせていた。

 

また喉に炎症をきたすと高熱が出やすい。

これも幼少の頃から度々繰り返されて、風邪に対する恐怖も抱えていた。

 

父は売れっ子の声優だったがこの扁桃腺は父譲りで、学校で蔓延する風邪を家に持ち込むことはとても悪いことだった。

私たちこどもはもれなく風邪をもらってきてしかも喉を腫らし高熱は長引いた。

 

この高熱に対しては最強レベルの抗生物質が投与され、抗生物質は抵抗力を低下させるのでその風邪は必ずぶり返し、そしてまた長引いた。

 

お分かりかと思うけれど私の育った家は芸術家独特のピリピリした完璧主義的風潮で、私はしっかりとそれを継承していた。

コントロールは必須であり絶対でなくてはならない、というような。

 

そして私は、その絶対をことごとく覆す人生を辿る。


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