AZU WORLD

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

2021年ありがとう。2022年、ようこそ!

2021年を終えて、すでに確信することがひとつある。極めて個人的感想だが、この一年はこれまでで最も幸せに満ちていた。

それは神からの応答をこれまでにないほどクリアにダイレクトに親密に体験できたことに尽きる。神に満ちた一年だった。

 

癒しという道を歩んできた。自分のため。家族を思うなか。そしてすべての人を思うなかで。

人とは、人生とは、そしてその幸せを決定づける心とはなんなのか。

 

自分の個人的な体験とそこからの学びがいつか普遍的なものへと拡大し、人の幸せと直に関わることが可能になっていった。

 

出会う人の苦しみを理解することは、世界を理解することにつながる。

世界は閉ざされた心による陰影で成り立っている。

 

悲しんでいる人が、悲しんでいることすら隠さなくてはならない世界はなんと息苦しいのだろう。

傷つきやすいことを弱点だと流布し、生きづらさを病気だと認定するこの世界。

この世界の価値観は既に完全に愛から逆転している。

愛から遠く離れた世界で息苦しさを感じずに神の子たちは生きられない。

 

より生きづらい人から見ると、より生きやすそうな人はお手本に思え、それをうらやむ。

より良い自我を求めてしまう。

そうしてより愛から離れる道を選んでいる。

それはなにひとつ幸せにしないループだ。

 

だれもうまくなんていっていない。

上手に攻撃し、上手に防御し、上手に隠蔽する人がいるだけだ。

それがこの世界ではお手本とされている。

それを望む人が大勢いるからだ。

 

なにが愛なのかわからない。

なにが神なのかわからない。

わからないことを私たちは恐れる。

 

しかし、私たちは愛である。

私たちは、神の子である。

 

その真実が逆転を逆転させる。

 

真実はあらゆる緊張、ねじれ、誤解を解きほぐす。

心が安堵すると、私たちは真実を直視できる。

 

当初は過去の間違いをあからさまに見るが、

その次には神そのもの、愛そのものを見せてくれる。

 

それが癒しの道だった。

 

私は残りの時間を、そんな幸せな逆転のために捧げたい。

逆転を望むすべての友人に捧げたい。

そのことを神に深く深く願う。

 

そんな魂の友人と出会い、多くの時間を過ごせたことに感謝する。

最初からともに歩んでくれた夫とともに、ますますそれ以外の望みを排し、ますますそれだけを求めて歩めることに感謝する。

AZU拝

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みつからないところに探してきたもの

「自分が知らないということを知ること」は心に自由をもたらす。

真理もそう語る。

「きわめて重要なことは、自分は何も知らないと学ぶことである」と。

 

夜空や大地を眺めて感じる壮大さは、自分が小さき者であることを想起させ、安堵させる。

しかしひとたび等身大の自分に戻れば社会とその中の小さな役割を背負い、その小さな役割の中でつぶされそうな自分に出会う。

 

そうではなく「自分は宇宙に等しい壮大な存在で、ただそれを思い出すだけでいい」

というのが真理だ。

そこで人は、「だからこのままでいいのか」と思ってみたり

「神たる自分なのだから思うように生きれば良かったのだ」と思ってみたりする。

或いは「神たる自分の神的な能力を”思い出して”世の勝者になるのだ」と思う人もいるだろう。

世の中のラインナップはだいたいそんなものだ。

 

それでなにか変わるだろうか。

私たちは変わることによってのみ自由である。

無限に変化する余地こそが可能性であり希望だ。

 

宇宙に等しい神たる自分がなぜすべてを愛さずすべてを癒さず誰も助けないのだろう。

それどころか、相変わらず自分すら助けられずにもがいている。

 

無力から無力へ。無力を知ることが悟りなのか。

 

傷ついた人は、世の中の多くの人が勝者に見える。

少なくても自分よりは楽して生きているように見える。

せめて、あれくらい楽であれば文句ないのに。

 

世の中はどこまでも理不尽で不公平だ。

それに不平不満を抱かないようになりたいあまり、できるだけ見ない言わない感じない戦法をとる人もいる。これは防御でしかない。防御は攻撃と同じだ。

それとは逆にあらゆる理不尽に噛みつきまくる人もいる。

直に噛みつくのはリスキーだから、「毒を吐く」ことで解消しようという人もいる。毒を吐いても自分はいいことしかしないいいひとなのだからそれでいいでしょ、という人もいる。

 

どこまで行っても不満の連鎖だ。

 

この世のエネルギーはただ移動する。

熱がただ移動するように。

空気を水を汚しても薄まればわからなくなるように。

これがこの世界のエネルギーの法則である。

なにも裁かない、裁いてはいけない、と言われるとただ自分の中に留めるしかない。

 

私たちはまったくわかっていない。

 

なにが苦で、なにが救いかを。

自分がなにをしているのかを。

 

裁きは神にお任せしよう。そして私は自由になります。

 

真理はそう教えている。単純なことだ。

 

問題なのは、自分が裁いていることに気づけないことだ。

 

やってもやってもちっとも楽にならない理由は、

私たちが原因と結果という裁きでできた世界で、

それそのものとして生きていることに、

私たちがまったく気づいていないからなのだ。

 

愛に対してすら常に対価を求め、

求めてしまう自分を裁き、

そしてあきらめることはしても、決してゆるすことを許さない。

 

自分が信じている夢から覚めるには

まず覚めようと決め

そして真実に少しずつ入ってきてもらうことだ。

 

私たちは自分を卑小にみるように神を過小評価しすぎている。

或いは自分を尊大にみすぎて神を見失っている。

常にこのどちらかを行き来している。

 

姿や行いでなにをするかではなく

心でなにをしているか。

 

それを見直すことから目覚めは始まる。

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ただ選びなおす

今、平安ですか?

 

その平安に理由はありますか?

 

神は神の子である私たちに平安であるように求めます。

そうすると私たちが神のもとに戻ってこられるからです。

 

平安であるために、私たちはその条件を整えようとします。

平安を乱すものから逃げたり、戦ったり。

問題が無いふりをしたり、感じないようにしたり。

かたっぱしから解決を挑んだり。

どんどんこじらせています。

すると神を求めるのは難しいことだと勘違いしていまいます。

 

自我の知っている平安は条件付き、期限付きであり、外側への反応、反射です。

神の平安は無制限で恒久的で無条件です。

 

これが違いです。

 

求めるなら神の平安にかぎります。

探すべき場所は私たちの心の内にあります。

外とも体とも無関係の場所です。

 

瞑想はその場所へ行って居座るためのものです。

 

結果、いろいろな嬉しいおまけがついてきますが、おまけをもらいに向かっていってもそこには到着できません。

副産物は目的になり得ません。

 

副産物を求めている時、私たちは欠乏を感じています。

欠乏を感じている時、私たちは恐れています。

恐れている時、私たちは源、つまり神から分離していると錯覚しています。

神は私の欠乏を理解しておらず、必要を満たしていないと信じています。

 

欠乏を埋めることで私たちは一体性を取り戻そうとしていますが、副産物でそれを取り戻すことはできません。

一体性は、一なるものにしかもたらすことはできませんから。

 

副産物を求めることが悪いのではなく、副産物を求めている時点で私たちは間違った場所にいる、と言うことができます。

まずはその間違いを修正してもらう必要があります。もちろん神から。

 

間違った場所とは、神が創っていない場所、つまり幻想の中です。

 

そのことに気づいたら神に戻れるようにお願いして、そして心の平安の場所へ帰ります。

 

神のお部屋に戻って自分を眺めると、問題が良く見えてきます。

問題とは、自分が間違った場所に迷い込んだ時に脅威なのだということがわかります。

 

このおもしろいゲームのからくりを知ったら、私たちが神に求めることは、神に戻ることだけだとわかります。

 

問題にかかわる人を自分も含め、少しでも咎めたり、どんなに小さくても攻撃し防御している時、このゲームから抜けられません。

自分は怒っていないと思っていても、「怒ってないけど、やっぱりあの人(出来事)が原因だよな」と思ったら同じことです。

ゲームは続けようという同意のもとに続きます。

降りる、と決めて、その決断を神に通知するまで続きます。

 

降りられないのは、存在し認められたいという自我の根底的な欲求に基づいています。

 

自我の根底的な欲求を取り下げるのは怖いことです。

それは死と似ていますから。

 

それを取り下げるには、永遠無限の命への置き換えが必要なのです。

 

私たちが肉体ではなく意識であり、即ち永遠無限の命が自分であるという自己認識の変容が。

 

しかしながらその変容とは本来に戻ることであるがゆえに自然なことです。

真実は自然であり優しいのです。

 

永遠無限の命である私を選びなおし幸せに生きることは、友を幸せにし、世界を幻想から救います。選びなおす価値があるものです。

肉体のある間にそれをもう一度やってみませんか。

 

求めて失敗する人はいないと神も保証しています。

この謎解きはおもしろいですよ。

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