2021年を終えて、すでに確信することがひとつある。極めて個人的感想だが、この一年はこれまでで最も幸せに満ちていた。
それは神からの応答をこれまでにないほどクリアにダイレクトに親密に体験できたことに尽きる。神に満ちた一年だった。
癒しという道を歩んできた。自分のため。家族を思うなか。そしてすべての人を思うなかで。
人とは、人生とは、そしてその幸せを決定づける心とはなんなのか。
自分の個人的な体験とそこからの学びがいつか普遍的なものへと拡大し、人の幸せと直に関わることが可能になっていった。
出会う人の苦しみを理解することは、世界を理解することにつながる。
世界は閉ざされた心による陰影で成り立っている。
悲しんでいる人が、悲しんでいることすら隠さなくてはならない世界はなんと息苦しいのだろう。
傷つきやすいことを弱点だと流布し、生きづらさを病気だと認定するこの世界。
この世界の価値観は既に完全に愛から逆転している。
愛から遠く離れた世界で息苦しさを感じずに神の子たちは生きられない。
より生きづらい人から見ると、より生きやすそうな人はお手本に思え、それをうらやむ。
より良い自我を求めてしまう。
そうしてより愛から離れる道を選んでいる。
それはなにひとつ幸せにしないループだ。
だれもうまくなんていっていない。
上手に攻撃し、上手に防御し、上手に隠蔽する人がいるだけだ。
それがこの世界ではお手本とされている。
それを望む人が大勢いるからだ。
なにが愛なのかわからない。
なにが神なのかわからない。
わからないことを私たちは恐れる。
しかし、私たちは愛である。
私たちは、神の子である。
その真実が逆転を逆転させる。
真実はあらゆる緊張、ねじれ、誤解を解きほぐす。
心が安堵すると、私たちは真実を直視できる。
当初は過去の間違いをあからさまに見るが、
その次には神そのもの、愛そのものを見せてくれる。
それが癒しの道だった。
私は残りの時間を、そんな幸せな逆転のために捧げたい。
逆転を望むすべての友人に捧げたい。
そのことを神に深く深く願う。
そんな魂の友人と出会い、多くの時間を過ごせたことに感謝する。
最初からともに歩んでくれた夫とともに、ますますそれ以外の望みを排し、ますますそれだけを求めて歩めることに感謝する。
AZU拝