AZU WORLD

トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

5次元ポケットの法則

私が生まれる少し前に、手塚治虫の「鉄腕アトム」という漫画がテレビアニメになっていた。

昭和39年の東京オリンピックの頃だ。

アトムは空を飛ぶし、自動車は空中のチューブの中をスイスイ走る。

21世紀になる頃にはきっと、世界はこんなだろうという希望がそこにはあったように思う。

 

21世紀になったら、きっと戦争はこの世から完全に消えているのだろうと、漠然と思っていた。

私は戦後20年経ってこの世に生まれた。

戦争は恐ろしいものだが、同時にとても古臭い感じのするものだと感じていた。

古臭い価値観の人間がその価値観に則って何かを盲信したがゆえに起こった過ちなのだろうと子供だった私は理解していた。

そして自分が育った空気感の中にその古臭さは入り込みようがないもののように感じていた。

誰もその古臭さの中に戻っていくことを望まないし選ばないだろうと思っていた。

戦争は終わっている。そう思って大人になった。

 

21世紀が始まったとたん、新手の戦争が幕を開けた。

ニューヨークという最先端の、かっこよく新しい風を吹かせる町で、古臭くない戦争が始まったのだ。たぶん。

 

最近YouTubeで、個人で作っているとは思えないほど秀逸な番組があって、宇宙や量子力学などの見解はとても頷けるのだけれど、何年後世界はこうなっている、という内容の動画にだけはまったく賛同できなかった。

 

テクノロジーという意味で、人類はそこまで来ているに違いない。

ただ、人類の精神性が、それを建設的に使うところに来ていないのだと思う。

 

これだけテクノロジーが発達しても、私たちはまだ「奪い合って」いる。

その不足はテクノロジーによって解消することはできない。

どれだけ持っていても足りない、という私たちの内にある不足意識という病が癒されることでしかそれは治らない。

 

この病気が治癒しないうちは、私たちはなにをどれだけみつけようと与えられようと、またそれを奪い合う。

奪い合い、つぶし合うだろう。

つぶし合いに豊かさはない。

 

90年代にNHKの「誰が地球を守るのか」というドキュメンタリー番組で、モザンビークの内戦で両足を失った女性兵士の声をやった。ボイスオーバーと言われる仕事だ。

 

彼女は地雷を踏んで両足を吹き飛ばされながら、近づいてくる敵にAK47 をぶっ放し続けた、という話をしていた。12歳の時に兵士になった、と。

そして、こうも語った。

この国の人はみんな働き者なのに、戦争が起こりいつも貧困で、貧困だから戦わざるを得なくなる。その繰り返しだ。どうしもそうなってしまう、と。

 

アジア・アフリカの恵まれないこどもに救いの手を、という広告を昔から今もよく見かけるが、彼らはテクノロジーの不足や未発達さから貧困なのではないのだ。

どこかの国が仕掛けた戦争ビジネスに乗っかって奪い合うことに忙しいから、貧しい。

 

自分の内側に巣くう憎しみの火種を自ら鎮めることをしないなら、私たちはその火種に餌を投げ込まれる危険から逃れることはできない。

 

それは危険な地域とそこに住む人々の話ではない。

外には常に敵がいて、誰かのせいで自分はこうなっている、という思考を容認するすべての人はこの火種を内側に住まわせている。

そして人は追い詰められたら誰でもそのように考えるものだ。

 

不足意識は、得ることによっては満たされない。

分かち合うことで満たされる。

この法則を実践しマスターすることなしに、私たちの世界に大きな展望はやってこないだろう。

分かち合ったらほんとに増えたよ、という喜びが、私たちの病気を癒すまでは。

 

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この世には価値がない

私たち人間が生きる意味、目的は、これである、

というふうに簡単に言うことは難しい。

本当の本当は、とても単純なことなのだと今の私は思うのだが、

それを言葉にしたところで、過去の私が納得しなかったように、

人は納得しないだろう。

思うに、その単純さを理解できるようになるために、

生きてみることが必要なのだと思う。

 

では生きてみるというのはどういうことだろう。

 

ただ飲んで食べて寝て、を繰り返すことではないことは確かだ。

そんなことを繰り返したところで、

生きる意味のシンプルさを受け入れることは不可能だ。

 

私たちは目的を持ち、仮説を立てる。

そして可能と不可能を体験し実感する。

 

そしてそれをある程度繰り返すと、

できたこととできなかったことの価値についての再考が必要になってくる。

 

果たしてできたことが自分にとってどんな意味を持ち、

できなかったことがどんな意味を持つのか。

 

手に入れたものが自分を幸せにし、

手に入らなかったことが不幸にしているわけではないと気づく。

 

ではその幸せはなにによるものなのだろう。

その疑問に辿り着くことができたら、

その答えはすぐそこまで来ている。

 

生きてみることは難しいことではない。

それはある程度の欲望と、衝動が導いてくれる。

しかし、恐らくこれが現代の病なのだろう。

あたかも、人生に正しいレールというものがあるという錯覚が邪魔をする。

 

欲望と衝動に従うことは決して褒められたことではないが

存在しないレールに乗ったつもりで人生を送ることは、

生きる意味と価値に辿り着くことをとんでもなく先送りにするだろう。

 

安全で快適という幻想が私たちを更なる肉にしてしまう。

この肉が欲望と衝動によって世界から奪うものは限りない。

もし私たちが肉体という存在であるなら

その罪深さは万死に値するだろう。

 

そこに生きる意味や、自分という存在の価値を見出すとしたら

それは途方もない欺瞞だ。

 

もし私たちに存在する価値があるのだとすれば

それは私たちが肉ではなく、意識だからである。

心だけが私たちであり、

それ以外のものに意味がない。

 

私たちの自己認識の曖昧さが、

私たちの人生を解読不可能なものにしている。

 

このあと何億年を重ねたところで

この結論は変わらないだろう。

私たちが、自分を肉だと認識する限り

不幸は存在し続ける。

それを克服することはあり得ない。

ただ無感覚を極限まで拡大していくことを

選び続けるだけだ。

 

そうではない。

私たちは感じる。

無感覚の扉を開け

風を通し、光を入れる。

 

意識である私たちに必要なのは

ただそれだけだ。

隔たりを除けばいい。

一時的な不快を超えて

一続きの喜びをみつける。

 

自分と向き合うというのはただそれだけのことだ。

それによって、人ひとりが生きる価値も意味もわかる。

 

この選択をすることはシンプルだが容易ではない。

ゆえに私たちは仲間を必要とする。

私はこの世界の片隅から、心の声で仲間に呼びかける。

 

もしあなたが無価値感に苦しむなら

それはこの世に価値がないからであり

自信がないのであれば

それは信じるに値しないものを自分だと誤解しているから。

あなたが感じている本心はあなたに本当のことを教えている。

私たちはまだ価値あるものを、

信じるに値するものをみつけていない。

 

それをみつけようではありませんか。

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2023年、ごあいさつと所信表明

新年おめでとうございます。

2023年、新しい年をみなさんどのようにお迎えでしょうか。

信州諏訪、岡谷はこのところだいたいマイナス6度から最高6度くらいの間なのかな。

晴れた日が多いですが、昨年降った雪は解け切ることなく屋根に、道端に積もっています。

日陰では路面も凍ったままです。

春までこのままですよ、とおとなりさんが教えてくれました。

 

未踏の体験をしているうちのおかあさん(琉球犬mix)は、どうやら雪をちっとも怖がらず嫌がらず、むしろ雪の上を選んで歩きたがります。

部屋の中は沖縄の冬よりも暖かいせいなのか、随分毛が抜けてサマーカット姿になっています。

気前良すぎてちょっと心配です。

 

それにしても雪の白、というのはすごいインパクトを与えてくれます。

白という色は自然界でやはり特別なのかもしれません。

それからお日様のパワーにも驚きます。

外が氷点下でも、晴れていればお部屋の気温はどんどんあがり、日に当たっていれば暑いと感じます。

晴れの日が多い地方なので、晴れればなんとかなる、という気持ちにさせてくれます。

 

さて、今年もヒプノセラピー、カウンセリング、ヒーリングの個人セッションと、奇跡講座(ACIM)を教科書とした心の仕組みの講座を続けさせていただきます。

そして、沖縄で行っていた定期瞑想会を、オンラインで再開(というのか、始動)させていただきたいと思います。

少し説明させていただくなら、ヒプノセラピーは誘導瞑想によって行います。

この誘導を20年以上続けさせていただいています。

明確な意識の仕組みのもとに、確実に意味のある内なる場へご案内させていただくことがこの誘導瞑想の意義です。

瞑想はややブームに乗った感がありますが、実際的にみなさんの人生、生活、生き方にどれだけ直接的に関係を持てるかがこれからの課題でもあると思うのです。

 

すべての人が内側に持つすばらしい資質を前に出すということをイメージしてみてください。

実際的に役に立つ、という言葉を使えば、殆どすべての人は、外側の何かを実際変えるということをイメージします。

眠っている力を使うと言えば、何か特殊な技能がわいてくるかのようにイメージされるかもしれません。

 

しかし私たちが等しく与えられた本当のすばらしい資質とは、「すべてを喜びに変える力」なのだと思います。

その喜びは、自分だけのものにしておくことのできないものです。

所有や獲得や達成や承認によって得るものではなく、分かち合うことによってのみ存在しえます。

 

私たちが自己の内にそれをみつけたとき、その他の必要だと信じ込まされた様々な武器は不要だとわかります。

その武器を手に入れるために費やす時間も労力も必要なくなり、喜びによって生きる生き方が生まれるのです。

 

私が行っている個人セッションも講座も、すべてはこの目的のためのツールに過ぎません。

本当の自分、本当のしあわせ、本当の目的。

そのための最短最速を探究し、できる限り優しくみなさんにご提供できるよう努めています。

 

最速であればあるほど、私たちは仲間を手伝えますしそれ自体が喜びとなり喜びを生み出します。

 

ですから多くの人が躊躇される、「まだもう少し様子を見よう」「もうちょっと自分でやってみよう」というストッパーを超えて、ご自身の問題を分かち合っていただければ、それが実は多くの人の(人類の)課題を解決する早道になることをご理解いただけるのではないかと思います。

 

この世の課題は、裕福な(足りている)人が貧しい(欠乏している)人に与えるという形では解決されません。

自分に浮上した問題に進んで関わり理解し、浄化するというやり方だけが機能します。

 

しかもそれは、自分の力でするものですらありません。

もっと壮大なパワー、つまり真の自己とのつながりを回復することでしかそれはなしえないのです。

 

これを可能にし、内なる指針を与え導いてくれる最良の方法が瞑想だと言えます。

 

そして少人数のグループで行う瞑想は、私たちに実在する確かさを感じさせてくれます。

 

日程などまた後日書かせていただきますが、この会を通じてみなさまとまた出会えますことを切に願います。

ご参加をご検討いただければ幸いです。

ご質問なども歓迎いたします。

 

感謝とともに

AZU

 

 

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