ゆるしというのはすごい威力を持つ。 実際、本当に人の心を健全にすることは、ゆるしにかかっている。
もし何か過去の出来事や出来事にまつわる人物を思い浮かべて何かしらの抵抗を心と身体が示すなら、「ああ、このことをゆるしてないのね、わたしは」と観ていいと思います。
抵抗というのはたとえば身体のどこかが緊張する、こわばる、力が入る、など。 また嫌悪感、不快感をはじめ、怒りや悲しみ、羞恥心、悔しさなど、心が反応することです。
ですから、頭で整理をつけたり、方針を決めたりする段階では実際はゆるせていない、と言えます。
この段階で多くの人は「そのことはもうゆるしている」と認識していますので、ゆるせていないことが不調和の原因になっていることを見落としがちになります。
ゆるすというのは、精神論や思想や正義に関わることとは違います。 心身の、エネルギー状態に関わることです。
癒されない心は過去の記憶というエネルギーを、いつでもスイッチを押せるよう握りしめています。 そのトリガーが多ければその操縦に追われます。 それで、自分の内面を感じるというところに意識が向きづらくなるのです。
すると本来の自己のエネルギーは消耗される一方になります。
ゆるしというのはなんであれ、自分を解放してあげることです。 過去の学習したことへの見張り番という役割から、自己の人生の主人公に戻してあげることに他なりません。
誰をゆるしたとしても、実際にゆるされるのはそのとき誤解や失態をして心をこじらせたまま隔離されている自分です。
また、ゆるすことが本当にいいことなのか、と迷っておられる方もおられます。 「私がゆるしてしまったら、また同じことをされる(同じようなことが起こる)のではなかいか」というふうに。
ですが、実際はゆるさなければそれはまた起こります。 もしものごとを本当に改善したいのであれば、ゆるしてから、受け入れることが容易になったところで対処すれば一番いい方向へ進みます。 つまり愛によってものごとが創造されます。
また、自分ひとりでは難しいと感じている方も多いかもしれません。 その場合はお手伝いさせていただけると嬉しいです。
実際ひとりでするのは難しいのです。 なぜなら人間はこの世に肉体を持っている限り、この身体が体験したことが真実、と信じているからです。 「あんなことされて、だからこうなった」というストーリーがどうしたって一番シンプルに正しいのです。
しかし本当は違います。 実際は、それは現象のごく一部分にすぎず、それを「どう感じて」「どう反応して」「どれを選んだか」という内面の作業が現実を作り出しています。 またそれ自体が真実ではなく、その全体を通して自分はなにに気づきどう変化したか、という部分こそが一番重要な成果の部分です。
すべては内面に帰するのです。
五感を研ぎ澄ますことが今にいること、とか、自分を豊かにする、と説明される方が多いのですが、五感が敏感でもそこから得た情報を意識的にもう一歩内面に踏み込んで感じてみなければそれは栄養ではなく毒にもなります。 ただ機械的に反応する箱が身体であり、意識という神の介在なしには私たちは当然ながら霊的に成長することはできません。
霊的成長というのはただ、愛であろうとするという、人間として当たり前の崇高さです。
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