沖縄が熱いです。 興南高校、優勝、すごいです。おめでとう! 那覇の、主人がお世話になっている治療院のすぐ近くで 私もお散歩しながら何度か通りかかったことがあります。 野球は、チームプレイと思いやり、フェアプレイの精神と精神力など 多くの力を必要とするスポーツ。 沖縄の未来が明るくなった気がしました 沖縄の旧盆がやってきます。 私は、平和の礎(いしじ)へ行き 直塚太郎さん(祖父)に手を合わせてきました。 平和祈念公園はいつものように澄み切った空気で 身を焦がすほどの日差しと涼しい木陰が優しく迎えてくれます。 おじいちゃんに手を合わせると いつにもましてずーんとグラウンディングした感覚を感じました。 地に足をつけて、がんばります。おじいちゃん。 帰り道に主人が「喜屋武(きゃん)岬」へ行きたいと言い出しました。 どうして?と聞くのですが「行ったことないから」とのことです。 国道をなるべく避けて、路地裏をお邪魔するのが好きな私たちですが 喜屋武岬は本当に農家の庭先やサトウキビ畑を失礼して通り抜けた突端にあります。 なんとなくビーチのようなところを想像していたのですが そこは平和の塔という慰霊碑と展望台、トイレがあるだけの小さな広場です。 到着して車を降りると晴天なのに雨がばらばらと降り始めました。 どうして~?と言いながら、まず塔にお祈りを捧げました。 それから丸い水平線を眺めました。 家に帰ってから主人の撮った写真を見ると 海に虹がかかっていました。 思わぬ贈り物というか、お知らせというか。 浦添ナンバーのバイクが一台止まっていて 10代に見える男の子が一人、展望台に座っていました。 どんな思いでやってきたのかな。 帰りの車の中で少し主人と話しました。 私と主人は、南部の民家のある路地や小さな森や公園や農道を散歩するのが 沖縄で最も好きなことのひとつです。 ドライブも、糸満や八重瀬の小道を走っているだけでものすごく満足します。 そうして心を澄ましていると、大切なことが胸の中にあふれてくるようです。 沖縄の方の中には、南部へは具合が悪くなるから行きたくないとおっしゃる方もいます。 きっと戦争でたくさんの亡くなった方が癒されていないから、と思わていることでしょう。 亡くなった方もそうですが、残された方もそうなのです。 沖縄ではほんの少し家族の歴史を遡るだけで 本当に辛く悲しい引き裂かれ方をした事実が当たり前のようにたくさんあります。 その思いは、そんなことを体験していない子供たちの心にも 痛みの記憶として刻まれ引き継がれています。 私も沖縄へ来るまでは、戦死した祖父のことを どこかおとぎ話のように記憶していました。 けれど、母やその兄弟、また祖母にとって それは家庭の平安を根底から奪って取り返しのつかないダメージを与えるような出来事でした。 私はその痛みのさなかで必死に自分の人生を戦っている父母から生まれた子供です。 その痛みの痕跡は私の中にも無意識にしっかりと刻まれていました。 心の中に刻まれる引き裂かれた傷は いつかは癒されなければなりません。 そうしなければ戦争は終わらないし本当の平和もきません。 このことは最近の戦争やその体験者に限って当てはまるわけではなく 人類の長いサバイバルの歴史の中でつくられた私たちの集合意識の中にあります。 すべては、こころがつくる。 人がそれぞれに持っているその創造の源の力に多くの人が気づき そこに目を向け、共に使うとき 本当の平和が来るのでしょう。 今日も、こころとともに、自分を楽しみたいと思います。