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本当の幸せ、本当の勝利

みなさんこんにちは。

まずは、参議院選挙のお礼とお詫びです。

連日SNSにたくさん書きました。私は普段の交友というものがほとんどありませんので、インターネットの媒体で発言するしか手段がなく、お気持ちを煩わせていたら申し訳ありませんでした。

そして、同じ思いで勇気づけてくださったみなさん、本当にありがとうございました。

結果に対していろいろな思いがあると思いますが、恐らくこのムーブメントは、私たちが諦めない限り衰退することはないと思っています。なぜならそのゴールは「勝ち」ではなくて「創造」だからです。創造とは神の愛を原動力にしています。みんなの幸せというアイデアから反れてしまうとその力は弱まり、そのアイデアとともにある時、それは流れとなり、道となります。歩む人がいる限り、道は続くのです。

 

ゆうべ、夫と瞑想してそれからいろいろなことに気づきました。

世間では投票率が低い=政治に無関心と認定されます。

今回夫はすごく勇気を出して、何人かの古くからの友人に直接政治への思いを伝え、意見を聴くということをしていました。そしてその感触に私が驚いたのは、多分、本当に無関心という人なんていなかった、ということです。

無関心と括っているのは、あくまで政治を変えなければと感じている人の視線であり、多くの人は恐らくですが、変えたくない、つまり現状維持を支持しているのだと感じました。

 

私は沖縄へ来て、また311以降は特に、多くの人が大きなものに踏みつけにされたり黙殺されたりして苦しんでいることを知りました。沖縄の問題も311の問題も貧困も差別も、根本は人権、人としての尊厳への関わり方の問題だと思います。

またその矢先、父が亡くなりました。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、父はアニメなどで知られる声優でした。父は入院中の精神病院のお風呂で見守りが怠われた人為的ミスのさなかに溺れて亡くなってしまいました。

このことは本当に本当にショックでした。通常起こりえない、起こってはならないようなシチュエーションの下に起こった事故であることは明らかでした。しかし責任の所在という話になったとたん、謝罪も説明も覆され、まさにこの国の国会の答弁でみるような保身という目的以外のなにものでもない不条理な言い分を突き付けられました。

私たち家族は考え抜いたあげく東京都を相手に(都立病院でした)裁判をしました。神の最良の采配であったと感じられる、和解という結果に導かれました。しかし和解になった以上は裁判の内容を口外しないようにという条件を付けられました。だからこのことは本当にかかわった当事者だけの学びです。

そのため多くの同じような立場に置かれた、組織や体制の、人として当然の配慮、人権と尊厳の尊重の欠如によって犠牲となられているような方々の判例として役立てていただくことができなくなりました。でもその時の、恐らくそれが私たち家族の精いっぱいであり限界でもあったと思います。

 

人の存在に関わる問題が起こった時、少なくても嘘やごまかしのない誠意というものを求めるのが人権と尊厳が尊重された世界でのコミュニケーションであると私は信じてきました。それがなくなったらこうなるよとでもというような、これから起ころうとしている人権と尊厳の項目を削除された社会を前もって見せられたような体験でした。

永田町はすでにそうなっていて、司法も政治もそんな社会の実現に向かって全力で努力していることは明らかです。現に今回の選挙のもっとも大きな争点は改憲です。改憲がいけないのではないのです。基本的人権の尊重をはく奪しようとする意図に私はNOと言いたいのです。

それがどんなことを招くか、「創造する人びと」は、心の底からそれを危惧しているはずです。そのビジョンを言論を用いて行動に映しているのが山本太郎はじめそれに賛同する人々だと私は確信しています。

今回のれいわ新選組マニフェストはほとんどが経済政策でしたが、それはまず、変革のための元気と正気を人々に取り戻してほしいという配慮に私には見えました。

ごはんを食べられなくておなかをすかせた子供が学校にたくさんいるのに、勉強を教え規律を守らせようとするというような不条理な現実からおとなが目を覚ますために必要なのは思想ではありません。優しさです。

でもおとなたちは心の中でこう思うのです。「ぼくたちだってすごく傷ついてがまんして、なんとかここまでやってきたんだ。だから、これを維持したい。こどもたちもそうやってなんとか生きて行ってくれ。」

 

私の両親は戦争中に生まれました。彼らはとても意志の強い人たちだったと思います。私なんかの百万倍くらい、自分を信じていました。

母は裕福な満鉄社員で満州放送劇団の座長であった父親のもとに生まれ、戦争で父親と財産のすべてを失い、満州からの壮絶な引き揚げを体験しています。

父は川崎で生まれたあと戦火を逃れ、ルーツの長野県上田に育ちます。

ある日食卓で父が戦争体験で辛かった話をしました。

「それまで飼ってかわいがっていたウサギがある日いなくなり、その日の食卓に珍しい肉が上がった。とてもショックだった。おばあちゃんがそうしたのだろうと思うけれど聞けなかった。」という話です。

こどもだった私が父の気持ちを想像してみようと寄り添ったその瞬間、母がばっさりと、もう言わせてはおけないとでもいう勢いでそれを断ち切りました。

「そーんなこと、全然あまっちょろい!そんなの苦労に入らない!なんだ、たかがうさぎのことなんか!戦争はそんなもんじゃない。だからあんたは甘ちゃんなんだ。」

 

その時私は、その言葉を自分が受けたように感じました。そして父に寄り添おうとした自分を恥じ、否定したのです。

強い傷みは、小さな動物をかわいがってそれを失う、そしてそれを食べないと飢えるというような悲しみすら感じてはいけない、それに共感することもいけないという同調圧力を正当化します。

父の中にいる無垢で純粋な男の子と母の中にいる傷ついた小さな女の子がけんかをし(父はその時はまったく反撃しませんでしたが)、たくさん強く傷ついている女の子は男の子の優しさを全否定して叩きつけました。(女の子はそれを上回るような大きな愛がほしかったに違いありません)

そして私の中の小さな女の子は、父である男の子に同情し、母である女の子に同調し、自分を見失いました。

こういうことが私は、すべてのこの世の問題の根っこにあると思っています。

自分を見出しましょう。癒しましょう。 それでしか他者を思いやることはできません。それでしか世界を変えることはできません。小さなこどもを守ることすら、傷つきすぎているおとなにはとてもとても難しいのです。

 

今、やり始めましょう。そして歩み続けましょう。道を。創造しましょう。

感謝とともに

AZU拝


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