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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

終戦を祈念して(意識の仕組みとともに)

人が内面的な成長をすることで人は戦争を地上から滅することができると私は思っています。人が人を殺すことは社会のルールに反しています。それが今の地上のスタンダードで先進的な認識です。

 

誰もが良くないことだとわかっていることを覆すためには、仕掛けをして認識を歪ませる必要があります。人が作為的に大衆の認識を歪ませることでしか戦争はなしえません。

 

人が戦争をするのは本能の本性だなどと言う人もいますが、最近ではそうではないという見解も現れてきました。過剰に殺すことは本能から見ても異常です。

 

大衆を戦争へ駆り立てるために、少数の人があらゆる手立てを駆使して多数の人の認識を歪ませてきました。今の世の中はとても分かりやすくそのことを見せてくれています。私たちはおそらく、真実に気づきたいと願えるかどうかによって自分たちで選べる地点に今、立っています。

 

しかし人は見たいものを見ます。望んでいるわけではなのに、内面的な歪みに見合った、慣れ親しんだ現実を私たちは選びます。それが潜在意識の仕組みです。つまり見たいものとは、本当の希望ではななくて、歪みが見たいものです。歪みというのは「偏り」です。すべての人の体験が違うようにすべての人に偏りがあります。

 

私は人生のある地点でこういった仕組みに気づき始めました。そして自分を変えたいと痛切に願いました。自分を変えるというのは、自己の内部、つまり、意識を変えるということでした。そして更に、意識を変えることというのは本来のすばらしいあるべき状態へ戻していく作業でした。自分が成長の道すがら身に着けてしまった習慣という癖、その歪みに気づいてそれをほどいてあげるということです。

 

ほどいてみるとそれは単に、自分だけの個人的なものではありませんでした。社会の、時代の、歴史的な、生物的な、そういう集合的な歪みがわたしという意識を形成していました。

 

私は政治に思想があるわけではありません。愛をもって人道的に生きたいと願い、誰からもその権利が奪われないことを願っています。自分をほどいてく旅はそのまま、誰もをほどいていく旅でもあります。究極的には、すべての人が自由になるまで、わたしの完全な自由もありません。意識はそのように関係しあっていて、単独で存在できるものではないからです。

 

こういうことを考える時、いつも演劇のことが浮かんできます。

私は玉川大学の演劇専攻の出身で、そこから仲間と劇団を立ち上げて活動していました。人生を豊かに生きるための多くをそこから教わりました。

 

演劇は、舞台の上に人生を創造し表現します。そこにはあらゆる対立が描かれています。物語とはなにかしらの対立がなければ成立しません。この世が二元性でありすべてが陰と陽で構成されているというのと同じです。

 

そしてその創造には一定のルールがあります。それは、その対立がどれだけ深く激しいものであったとしても、演者同士が本当に傷つけ合うことはあり得ないし許されないということです。

 

おしん」というNHKの連ドラで泉ピン子さんが極貧の主人公を演じた時、視聴者はとても同情して、泉ピン子さんに全国からお米やら食べ物を送ったそうです。泉ピン子さんはあのドラマがヒットしてとても裕福だったというのに。笑い話ですよね。でもこのお話はテレビができたばかりのお話ではありません。

 

戦争はこういう滑稽さを最悪の形で表したものだと私は思います。

 

私たちは地球という舞台に立って、自分という役を演じています。対立を体験しながら、そこで触れ合い摩擦し合いながら、魂の学びを続けています。

 

舞台を降りたら肩を叩き合って互いの健闘を称えるのが魂の流儀ではないかと思います。あまりに歪んだ認識を持ったままだと、舞台を降りてもなお、憎み合わなくてはならなくなります。これが負のカルマの正体です。

 

殺しても良いという理由を、今この国のトップは国民に刷り込もうと必死です。刷り込みに応じることは、目覚めて抵抗していることよりある意味楽かもしれませんが、その向こうにあるのは地獄のカルマです。

 

目覚めていましょう。そして小さな最善の選択を重ねましょう。魂は必ずその選択に報いてくれます。しあわせに生きましょう。


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