みなさん、ご無沙汰しております。
2022年6月もあとわずかです。
お元気にお過ごしでしょうか。
13年半、RUACHとともに暮らした沖縄からたびだち、長野に無事着地しております。
ごあいさつを兼ねてここまでを振り返ってみたいと思います。
5月22日に沖縄での最後の対面セッションをさせていただき、そこから6月6日の荷物搬出までは、ぎりぎりまでひたすら荷造り作業に追われました。
2か月前からコツコツとやっていたつもりでしたが、最後までまったく余裕はありませんでした。
島外への引っ越しは、荷物の移動が1週間以上かかります。
この1週間をどのように移動し過ごすのか。
人間だけならなんとでもなるのですが、苦心したのはおかあさん(犬)への配慮でした。
まず飛行機なのかフェリーなのか。
幸い車に乗るのが大好きなおかあさんなので、フェリーで鹿児島まで行き、車中泊しながらという案も検討しました。そのためにかわいい愛車2台を売り、大きい1台に買い替えもしました。
クレート(小さな檻)の中でおとなしく飛行機の貨物室で待つおかあさんを当初はどうしてもイメージできませんでした。恐ろしくカンがよく、危機を察知する能力がぴかいちなのです。どんなことをしても檻を破ろうとしてパニックになりケガをしたり死んでしまうのではというイメージが何度となく頭をよぎりました。
しかしながらフェリーを調べてみて、24時間貨物室にいなければならないのはなお想像できません。
この辺の意志決定を明確にしないことには、その先も決まりません。
また、お金のことも重要な問題です。
潤沢とは言えない予算のなかでものごとを遂行するには優先順位をとことん明確にする必要があります。
優先順位を間違えるとすべてにしわ寄せがいってしまいます。
ひとつのミスも許されない、と言うとオーバーかもしれませんが、ひとつミスすればいくつもの修正が必要となり、お金も時間も気力も体力も余分にかかります。
おかあさんのことを思うとなおさら、最小最短のリスクで移動したいところです。
海を隔てた場所でおうちを探したり買ったり売ったり直したり。
通常移住というと、まずはちょっと仮に住んでみて決める、と言うのが普通ではないかと思います。けれど私たちは自営業者で、仮住まいをしている間は仕事ができません。その上ペット可という物件自体数もありません。
別に店舗を借りるにしても、私たちは独立したスペースを2つ必要とするサロンです。また個人セッションだけではなく、少人数でもグループでの講座やワークをするのが希望です。これらの条件を満たす貸店舗はみつかりませんでした。
しかし住所がない場所では融資もしてもらえず、一時は本当に実現不可能かというところに追い込まれました。
この創造のすべての工程において一番大事だったのは、夫婦のコミュニケーションと信頼だったと言えます。
私たちの場合、生きること、生き方においての価値観や優先順位は常に意識的に共有しあっていますので、それを元に肉体という乗り物の扱いや時間の使い方についてすり合わせるのはそれほど難しいことではなく、むしろ楽しい創造でもあります。
理解と、赦し。信頼と委ねること。
互いが互いの内なる神を見失うそばから思い出す作業の繰り返しです。
疲れやプレッシャー、焦りや恐れ。
神を見失わせる障壁のオンパレードです。
神を見失うというのは簡単に言えばイラッ(攻撃的)となること、或いは閉じたい(防衛的)となることです。ほんのわずかでもこうなると、私たちの心は神から離れますので、創造的でいることができなくなります。
創造的でいるとは、可能性をあきらめず、自由で楽観的で、オープンでいることです。神とともにあれば、道がないように見えても必ず別の、なんらかの、選択肢が導き出されてきます。
これ、どうやっても無理なんじゃない?としか思えない壁がずっと続く時もありましたが、神に戻ることさえできれば神に不可能はないから、きっともうどこかに道はある。私たちがいつそれに気づくかだけなんだ、という思いを失うことはありませんでした。
今のこのおうちは、知念のおうちよりさらにちょっと古い木造の中古住宅ですが、店舗兼住宅で、お客様の駐車場も道沿いに確保されていて、コロナ後の世界で再び小さな学びのための集まりをするスペースを作ることができます。これが私たちにとって重大な希望です。
ただし、老朽化している設備の修繕、店舗としての機能の整備、また自分たちの美観にしっくりくる、くつろげる場所にするためには相当の手入れが必要で、その工事はあと半月少し続きます。
私たちはお客さまに快適に、また楽しんで過ごしていただける場所を作ると同時に、自分たちがそれに最適に従事できるような環境を必要とします。
最も中心的な内なる神への学び・創造と、生活のためにかけるエネルギーのバランス、自然環境と利便性のバランス、そして自分たちを惜しみなく捧げることができるような生きる場が必要です。
こういった条件を現実的に満たしてくれる場所は本当になかなか、ありそうでありません。実際それと出会えること自体、奇跡だと感じます。
確かに最善を尽くして自分たちの持てる力をフルに使いはしましたが、結果はそれ以上に恵まれていて、その恵みのすべてが、導きでしかありえないと実感しています。
岡谷市、というと私も知らなかったくらいで、あまり有名ではない地名かなと思います。
信州の真ん中あたりに諏訪湖があり、諏訪湖を囲んでいるのが諏訪市、下諏訪町、そして岡谷市です。
すぐお隣の辰野町にはゼロポイントと呼ばれる日本の地理的中心の標があり、またお近くの伊那市には分杭峠というゼロ磁場があります。なんとなく、真ん中、なんです。
諏訪を訪れた時に一目ぼれしたのが2017年5月でした。
信州の出である父が亡くなっていろいろと後始末があり、ひと段落したので追悼に、という気分で旅行に来たのが最初でした。
上諏訪の駅について湖畔を歩いた時に出た言葉が「私ここ住める~!」でした。
すてきな場所は世界にたくさんあるのですが、住みたい、を通り越して住めると感じる場所とはなかなか出会えない気がします。
ただ、岡谷は信州の中でもとびきり寒いところのようで、それをはっきりと知ったのはもうだいたい手続きが済んだころだったので、知ってたらかなり躊躇した点だったのでは、とも思います。
岡谷入りして数日はとても寒くて、沖縄の冬の一番寒い時期と同じくらいでした。
今は気温も上がり、夫曰く「暑いって言えて良かった~。もう暑いって言えないのかと思った~」そうです。
実際に住んでみると、すべてにおいて期待を上回ることばかりに毎日出会って感動しています。
あげるときりがありませんが、まず、空気がずっといい匂い。洗濯物がすぐ乾く。水が優しい。せっけん洗剤がすぐに溶ける。うちの庭につくしがいっぱい生えていた。よもぎがそこいらじゅうに生えている。どくだみ、ユキノシタ、オオバコなど薬草の宝庫。沖縄で毎日ジュースにして飲んでいた桑が生えていて、続けて飲めている。というか、岡谷は養蚕で栄えた町なので、蚕糸博物館がある。和太鼓が盛んで、市民祭りで300台叩くらしい。近くに和太鼓道場があるので、習いに行きたいくらいだ。すぐ近くのおうちの庭にカモシカが遊びに来ている。カモシカの足はずんぐりしている。カッコウがいつも鳴いている。食べ物が想像以上にいつもおいしい。食べ物屋さんは、店構えは昭和だけど、味は洗練されていて、端正で丁寧で、いつも感動する。車は結構多いけれど、それなのにずっといい匂い。木が大きくてきれい。とにかく木に囲まれている。なぜなら山に囲まれているから。森に入っても、虫がこわくない。神社仏閣がとにかくたくさんあって、小さな森はすべて山の神が祀られている。街並みがきれいで楽しい。公園と書いてあるけど、行ってみる山全体か山の一部で、美しさが半端なくて毎回昇天しそう。車で5分行くと絶景ポイントに行ける。それがたくさんある。一方5分で買い物にも行ける。ありがたすぎる。おかあさんが安心して散歩している。山の匂いを嗅いで笑っている。散歩中に角を曲がったら富士山、そして湖の上に虹がダブルでどーん。諏訪湖は中城湾となんとなく似ていて嬉しい。とにかく人が明るくて丁寧で頭がさがることばかり。おうちの工事でたくさんの人が出入りしているが、職人さんが丁寧で優しくて気持ちが良くて、頭がさがることばかり。もうここは天国なのかなと、幾度となく思ってしまう。・・・
おかあさんとの2000キロの旅は結局飛行機で那覇から愛知県のセントレア空港まで行き、そこで車を受け取れるように時間を逆算して前もって輸送し、そして業者さんにもかなり無理をお願いして時間を合わせてもらい(時間指定できる業者さんがなかったなか)、おかあさんがどんな状態で空港に着いたとしても対応できるよう準備しました。
荷物を搬出した後は、那覇、泊にあるスマートコンドという宿に2泊しました。
搬出のあとに、おうちの引き渡しという手続きがあったからですが、そこまでの作業で疲れ切ったまま犬連れで大移動するのは不安もあったからです。
車は空港で受け取るためにすでに輸送しているので、レンタカーを借りなければならず、バスとゆいレールで半日かけて受け取りに行くなどの工程がこの前にありました。
スマートコンドは、空港近くで唯一ペットと泊まれる宿で至れり尽くせりの装備でした。
引越しの作業で不安になっているであろうおかあさんが知らない部屋で過ごせるのか、心配の種は尽きませんでしたが、最初のうろうろがひとしきり治まったあとは落ち着いて過ごしました。
ただ、泊の大都会でのお散歩だけは、おかあさん常にパニックでかわいそうでしたが。
いろいろと迷ったのですが、神奈川から宮崎までわんことともに陸路で移住した経験のあるセラピストの山田美那子さんの助言があって、フライト当日は酔い止めのお薬を飲ませることにしました。
そしてここでも奇跡が。
沖縄在住の夫の古い友人が宿に立ち寄ってくれ、翌日空港まで車で送ってくれることになったのです。クレートに入っておとなしくしてくれるかわからなかったおかあさんとタクシーで空港まで運ぶという計画に不安があったのですが、期せずして天からの助っ人が来てくれました。
お薬の効きも、タイミングを逃すと悪くなるということで、お散歩とごはんのスケジュールも間違いなくこなし、時間通りに投薬。チーズにくるんで、じょうずに食べてくれました。
時間通りお迎えに来てくれ、彼の車の中でおかあさん、安心してうつらうつらし始めます。空港に着いたころには赤ちゃんのようにぽーっとしていて、抱っこしてクレートに、すんなり入ってくれました。
このまま、おっとりして眠ってくれればという願いのなか、友人とお別れをし、おかあさんを手荷物カウンターで預けることまで進みました。おかあさん、やはりぽーっとしている。美那子ちゃんの教えてくれた通り、ここまでパーフェクトです。
セントレア空港で今か今かとおかあさんの到着を待ちました。運ばれてきたおかあさんはまだかなりぼんやりしていて、普段なら声を出して私たちを呼ぶような場面でしたが、私たちの声にほとんど反応しないくらいで、それはそれで不安でしたが、とにかく無事再会できたことに感謝でいっぱいでした。
車の搬送の担当のかたも天使かと思うほど親切で、到着時刻にぴったり合わせて運んでくれていました。
長い計画の中で、私がイメージしていた成功の瞬間は、再びこの車にみんなで乗る場面でした。
そして予想通りここで晴れて「やったー」を言うことができたのです。
おかあさんも徐々にいつものおかあさんに戻り、この日は名古屋のヴィラ・モニカに泊まります。このお部屋はわんこファーストの民泊スタイルのお部屋で、階上にはオーナーさんがお住まいの、とても素敵なお部屋でした。
人間だけの時なら最安値のビジネスホテルしか選ばないのに、おかあさんの影響力は甚大です。
翌朝いよいよ長野へ向けてドライブです。
途中、庄内川の河原でお散歩します。
おかあさん、鉄橋を走る電車を二度見しました。
沖縄に電車はないもんね。
ひゃ~、一日で書ききれませんでした。後半に続きます!