何度読んでも涙が出てしまいます。 どうしても、この部分だけ、シェアさせてください。
みんなで一緒に実感のある寄付しよう!プロジェクトに ご参加くださった方からのメッセージです。 それぞれの皆さんが私に同じ思いをお伝えくださって、 私一人で受け取るのがもったいなくて。
もちろんマサルさんには逐一、届けています。 でもそれでももったいなくて(笑)。
AZUさん、 わたしは、胸を痛めているだけで何もできなかったのに、 このような素晴らしい機会を与えてくださりありがとうございます。 私は、こうしたかったんです。 参加できたことに感謝します。 マサルサンにもありがとうございます。 と、お伝えいただけますか。
私も、同じ、1参加者です。 マサルさんが形にしてくれました。 もちろん、彼は現場にいて、
実際に困窮なさっている人々を目の前に 突き動かされて行動しているだけなのですが。
私一つすごく気になっていることがあります。
フェイスブックで見かけた記事です。
被災地に送ってはいけないものリスト、 というようなタイトルの記事です。
筆頭に千羽鶴。 生鮮食品、売り物にならないレベルの古着、使用した下着・・・など
確かにうなづけるし 実際事実として過去にあったことの教訓です。
まず記事の上に大きな写真があって
そこには巨大な体育館か倉庫みたいな空間に 物資が山積み、なんです。すごい量。
しかしその写真の出展はよくわからない。
そしてその文面の最後は 日本赤十字社への寄付でしたら 間違いなく被災者に届きます、ぜひこちらへ寄付を、 という感じで締めくくられていました。
ものすごい違和感を感じました。
(今回マサルさんの報告でも、 イチゴ、キュウリ、エノキなどの寄付があり みなさんとてもよろこばれた、ということなのです。 それもあります。
要はさばく側の問題であって、 被災者にとって、ということではないのです。)
ものは足りて、余って、腐ってます。 お金なら腐りません。寄付はぜひ当店へ。 そんな宣伝に利用されている気がしました。
(実際、足りているはずもないし、 足りていません。)
別のあるブログでは 日本赤十字社は義援金から67,3%の手数料を取る、 とあります。
団体は維持のために経費が必要です。 ボランティアだって、団体にすればそうなる。
否定はしません。 でも明言は必要ではないでしょうか。
団体への寄付なら、別に銘打って募るのが普通の感覚です。 だから多くがそれを疑いすらしません。
311でものすごく多くの寄付、義援金が集まって それだけで感動しました。 それはその背後にものすごく多くの人の 祈り、願い、善意を感じたからに尽きます。
でも、実際被災者のひとりひとりに なにかが補てんされた話は聞きません。
いったいどこへ消えたんだ? あれだけの資金が。
そう感じました。
今回、マサルさんはもちろん、 すべて自費で、団体に属さず単独で動いています。
普通の精神力ではきっとできないことです。
彼はフリーランスのディレクターなのですが 番組作り(子供の教育番組)で沖縄へ来ていて そのときうちに遊びに来てくれました。
普通撮影とかいうと、 たくさんのクルーと一緒なのをイメージしますが 彼は一人でした。
時にはカメラとマイクも自分で操作する、 なんていう話でした。
なーんでも一人で責任を持って 交渉もなんでも自分でするのに慣れています。
だけど今回、善意という動機だけから 1つのことを行うのに とても苦戦しています。
本来、国民一人一人の人権を守り その幸せのために働くべき相手が 障壁になってしまっているようです。
これはおそらく 今の日本の、そのままの縮図です。
先に挙げた記事の 被災地に不要なもののリストには 「祈り」も含まれていました。
まあ確かに、祈りでお腹は満たされません。 でも、心や魂は、ものでは満たされないのが真実です。
祈りは愛です。 寄付にも、ボランティアにも、どんな団体にも、役所にも、政府にも、国家にも 愛が伴わなければ 単なる抜け殻、機械になります。
愛の明かりの灯るほうを 選んでいきたいです。