写真は今日の瀬長の夕日です。 光があるところに闇は存在できない。 だから闇は光を恐れる。 しかし光は闇を恐れることはない。 光あるところに闇の脅威は存在しないからだ。 私たちが無限の存在である所以は 私たちが光を選択できるところにある。 光を選択するということは 闇を拒否することだ。 人のエゴの行いを見ていると それは無間地獄のように 果てしない泥沼のように見える。 どうにもならない泥沼は 私たちが闇を選択したときにだけ有効で 悪夢から目覚めることを選択した瞬間に消えうせる。 人生は選択の連続だ、という表現がある。 それは確かにそうだが 本当に重要な選択は 光か闇か。 光を選択するとそこには 自分をゆだね、導かれて生きるという 果てしない自由と至福があり 闇を選択すると 果てしない業の清算がある。 明らかにする、とは 己の内面に灯りを燈す作業である。 暴く、とも、攻撃、とも違う。 人との関係において真実を築き 互いを鏡として学ぶことは 明らかにすることと等しいのだが エゴは暗闇に潜みたがる。 闇の中で互いを知覚してもそれにはなんの意味もない。 幻想と錯覚、誤解があるのみ。 光あれ。と今日も思う。