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トータルヒーリングスペースRUACH[ルーア]心のセラピストAZUのしあわせになるメッセージ

映画とオラクルと瞑想と至福

みなさんこんにちは。一か月以上ブログを書かないなんて、2002年に始めて以来だったかもしれません。

改めまして、前回勉強会にいらしてくださった皆さんありがとうございました。なんというか、本当にいらしていただいて交流できたことを改めて幸せに思います。人生の価値って、こういうふうに深く(というのは心の深くでという感じ)触れ合えることなんだなぁと味わっております。

同じような思いをセッションを受けてくださるお一人お一人に感じることも、最近頓に増えています。宇宙から魂を見たとき、しるしはそういうところに深く刻まれるのだろうなと感じます。地球での学びの意義に満たされた日々です。いつも気づきをともにしてくださるみなさん、本当にありがとうございます。

こうして書いていても胸と鼻の奥にこみ上げてくるものがあります。

先日、「遺体」という映画を観ました。私と夫は数少ない趣味がだいたい一致していて、休日は家で映画鑑賞、というのは沖縄へ来てからの定番です。最初はPCの画面で見ていたのですが、ある時プロジェクターを買ってから、ウィークエンドシアターは壁に映して観ています。

車で片道30分近い道のりを出かけて行って、ひとり一本を選びます。これが実は、オラクル(神託)カードを引くような塩梅なのです。「今の私の気分にフィットする内容」とか「今の私が癒される内容」とかいうふうに意図してよーいどん、と店内を歩きます。手に取って、しっくりくるとか、ストーリー、監督、出演者などをチラ見してみて、しっくりくる一本を選びます。

観てみて、やっぱりね、とか、なるほど(今の自分って、こうだったのね)という具合に気づくこともあります。思考で狙いすぎると大失敗することもあります。

また、意図して二人でオラクルしているので、相手の状態に気づく手立てにもなります。あれ、ちょっと、疲れてるかな、とか、バランス崩してるかな、なんてね。選ぶ食べ物とおんなじくらい、選ぶ映画でエネルギー状態を読めますよ。

二人で見始めた頃は主人はほとんど「演技」なんていうものを知らなかったので、かわいい子が出ているほうがいいだろう、みたいな観点だったはずなのですが、いつの間にか見る目がどんどん肥えて「今日の誰誰の演技が弱くて全体のバランスが…」とか「ここだけ急に役者に戻っちゃってて…」みたいに言うようになりました。なぜ感動するのか、どこに感動するのか、何が足りていないのか、どうしてそうなってしまったのか、など、見終えてからこんこんとしゃべる私によく付き合ってくれています。

また、私は一本見終わった後、ほぼ必ずその映画について気になったところを勉強します。歴史だったり場所だったり、もしくは作り手、出演者などのバックボーンをググって、ああ、だからか、とかなるほどね、という具合に。これは例えばレイキのようなエネルギーワークにも当てはまりますが、先に手引き書をいくら読んでも頭に入ってこないのですが、体験や実感を得た後ですと、それにまつわる知識はぐんぐん頭に入ります。

私はせっかく大学で芸術、演劇を学んだのですが、当時はからだを動かして訓練することや表現することに夢中でした。学業を終えて数年してから今度は急に勉強し始めて、「なんだ、ここに書いてあった」「ああ、こういうことはみんな先人が体験済みだったんだな。先生の言ってた通りだ」なんて納得したものでした。

結局のところ、自転車についていくら知識を入れたところで乗りこなすにはいつか乗って漕いで、転んで体で覚えなくてはなりません。人生もおんなじです。体験が、学びです。

さて、「遺体」に戻ります。これは西田敏行さん主演の、東日本大震災当初の遺体安置所のお話です。実際の取材に基づいています。でもこういう映画ってだいたいにおいて、わかりやすく、感動しやすいような作りになっていて、さらにそういう意図が見え見えになっていたりすることが多いので、私の最終選考にいつも漏れていたような次第です。

しかし内容は想像を超えて、とてもリアルでした。描かれていたのはしかし、その悲惨さなどではなく、愛でいることの出来るたったひとりが差し出すものがその場を天国に変える、ということでした。愛でいることがとても自然で当たり前のことであればあるほど、周囲を自然に照らし、自然に周囲から光を引き出し、導くのだということ。しかしその自然のちからの威力は莫大で力強く、私のハートは最大級に揺さぶられました。

「重いんですけど・・・」と見る前から気乗りしなかった夫も、見終えるといきなり「瞑想するか」と言って、観たものをかみしめたようでした。祈らずにいられなくしてしまう、荘厳な命の尊厳にただただ圧倒されるような、そんな作品になっていたと思います。

全ての方におすすめ、というわけではありませんが、迷っている方はぜひ^^

さて、瞑想に入ると、あらゆるいのちの尊さが押し寄せてきました。セッションを通じて私とつながってくださった方々の顔が次々に現れもしました。ただただ感謝が押し寄せ、涙と鼻水が流出し続けました。実は少し前から、至福を体験させてください、とヨガナンダさんを通して神さまにお願いしておりました。この世の本質は至福、だそうです。目覚めるということは、無限の至福の中にいること。私はようやく意識と宇宙の仕組みがわかってきて、感謝を体験させていただけるようになったけれど、至福ってどんなんだろうな、その片鱗でも教えてほしい、と、思うようになってから、なんというか、その片鱗が出てくるようになりました。

私たちはいつも、愛の中にいます。私たちの中に愛があるのではなく。肉体の中に魂があるのではありません。魂にくっついているのが肉体です。私たちの内側には内なる神がいます、とみなさんにお伝えしていますが、すべてが神の中に在るのが本当です。そのことを意識するにはただ全部愛だ、と思っても実感に乏しいかもしれません。でもいつも内なる神とともにあって内なる神を通してすべてを体験するようになってくると、実はすべては神の中にあったんだ、ということが理屈じゃなくわかるようになってくるのだと思います。そっちが真実です。

真実はいつも私たちに優しい。優しさをたくさん、地上に見いだしましょう。


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