真実を見るのは難しい。難しいというのは、いくつかのひっかけがそこに潜んでいるからだ。
見た目。
雰囲気。
数値。
体感。
感覚。
直感。
人間が判断する材料は五感を通して体験した過去のデータの蓄積を使う。このデータが潜在意識の記憶。確かに潜在意識の記憶は思考の理屈よりは真実を含むこともある。訓練、または刷り込みもこの領域。でも、誤解、思い込みがとても多いこの領域。
潜在意識の形成期はお母さんのおなかの中に始まって3歳までがピーク。13歳くらいにはほぼ完成という風に言われる。となるとその時期の環境、お母さんの接し方やお母さんの意識がほぼその基盤を作る。誤解が多いのはそういうわけだ。人間は大人になって、違った人間になっていくように見えるが、根っこが変わらない。三つ子の魂百までってよく言ったものだと思う。
感覚的な誤解は、例えばおなかがすくと不安、とか、寒いと悲しいとか、風の音がこわいとか、そんな風にインプットされている。
例えば私には風の音がなんとなく不穏。つい最近まではこの感覚は普通、当たり前だと思って気にしていなかった。豊崎のマンションはいつも風があり密閉性の高い部屋にはビューという音がよくしていた。こわいと強く思うのではなく、無意識に近いレベルで漠然と心地悪く感じている。そこになにか1つでも負のイメージの要因がプラスされるととても不安になる、というような仕組みだ。例えば電話の音にすごくびくっとするとか。(電話は今はそんなことはないのですが昔とてもこわかったのです。なにかよからぬ知らせが来るといつもおそれていたから。)
これ自体はたいした問題ではないので多くの人は気にかけたり対処しようとはしないのですが、これにさらに目に見えるプレッシャーが加わると、心はとても追い詰められたような感覚にとらわれるようになります。
そこで多くの人は原因はその目に見えるプレッシャーだと思うのですが、心を掘っていくと、幼少期に台風の夜、部屋に置き去りにされたという体験から、風の音は心細くとても不安、という風に記憶されていたります。これは実話で、私の母が最近になってふと笑い話で私に話してくれたことです。みおちゃんを部屋に置いてお隣さんのところに避難したんだよ、という風に。私はとてもびっくりして「どうして置いていったの?!」と聞くと「だって赤ちゃんだからわかんないもん」と平静に言われました。かくして気づきは促されたわけです。あとは浄化あるのみ。
多くの人が直感を信じる、と語っているのも実はこの潜在意識の感覚的記憶から来ているものを指していることが多い。幼少期や過去世の記憶によって良し悪しの基準が決められている。それは信じるに値するものとは言いがたい。本当は「直観」を養わなければならないのです。直覚を使って判断するのです。
直感は、本能の領域であり動物的な感覚によって肉体と肉体意識を守るという目的のために使われるもの。ですからなんとなくこっちに行ったら安全だったとかいうのは確かにある。ですが、それが神聖な導きだったり高次の目的を示すかというとそうではない。高次の目的、魂の目的、人生の指針などは直感ではなく直観に従ってください。
直観を養うには潜在意識、つまり自己意識、肉体保存の本能を浄化し続けることです。そして内なる神を求める生き方を望み、歩むことです。