神に選ばれる、とか 神に与えられる、ということを 心のどこかで待っている人は意外と多いでのはないかと思う。 私は自分が苦しい目に遭ったり痛み傷ついていたとき 心のどこかで、そういった意識を持ち そこに救いを求めていたと思う。 けれど本当は、神は選ばないし、常に与えている。 選ばれるのを無条件に待ってくれているのは神のほうであり また無条件に与え続けてくれていて 受け取るのを待ってくれているのも神だと思う。 「人間には自由意志がある」という言葉を スピリチュアルの世界で耳にしたとき 「であるから、私たちはそれを行使して自由になるのだ」 という風に解釈したし 「その選択肢は無限だ」と言われれば まるで世界中のサンタクロースがまとめて大勢で私の前にやってきて あらゆるプレゼントは私のために用意されているのだ、とでも言われているみたいに感じる。 そして現状そうなっていない自分が不充分であって その切符を手にするに値していないのだ、という所にどうしても行き着く。 けれど本当の自由意志の意味は 私たちが悟らないまま、エゴの投影である幻想の世界で 絶え間なく湧き上がっては消えていく無常の迷妄の世界をふらふらと漂っているか もしくは幻想から目覚め、真理という世界に向かって生きるかどちらか、だった。 肉体における自己からみれば前者は圧倒的に自由に見える。 多くの選択肢があるかのように見える。 しかし真の自己から見たら、前者は牢獄、後者は無限に見える。 私たちが内なる真の自己の存在に気づき 私たちから選ばれるのを 神は無限の愛をもって待ってくれている。 これこそが無条件の愛だと思う。