今に在る。 日々が独立した生き物のように、 テーマを持ったエンターテイメントのように進んで行きます。 大変でも疲れてても泣いてても楽しいです。 先週金曜にまき貝さんからアバンダンディアのアチューメントをいただきました。 たった3日しかたっていないことに今びっくりです。 私はアチュを受ける数日前から自分に女神を受け入れることを決め、 そうなりきって生活してみました。 その結果とてもぐあいがよいことに気づきました。 ですからアチュをしていただくことで、 そのことを感謝し受け入れそのエネルギーとともに奉仕すると宣言しました。 私が自分の人生を通して世界に奉仕すると決めたのは今から13年前です。 私はスピリチュアルな世界を学ぶと同時に、 『人間力』を学び続けました。学ばされ続けたと言った方がいいかな。 この世を動かすのは(人の心を動かすのは)『人間力』です。 人間力とはその人の魅力であり、 魅力とはその人の才能や性質や資質に対する本人の受容度の高さと供給力です。 そのパーソナリティを使いこなし 思いやりや理解力に長け、公共の利益に貢献する意思と力を持つこと・・・。 いくらスピリチュアルを知っていても霊的に力があっても、 人間としての智恵や勇気がないとその力は毒にすらなります。 私たちは霊性を高めたいと願いますが、 霊性が高いから奉仕ができるわけではありません。 人間として育ったからできるのです。 霊性とはただ思い出すものです。 ですが思い出すには受け入れたり言葉に翻訳したり表現する力が必要になります。 闇雲に思い出すだけでは器がパンクしてしまいます。 私の弟は長いこと統合失調症という精神病と共存しています。 彼は恐ろしいほど美しく深い瞳と顔立ちを持ち、 その言葉は断片的に遠く宇宙の真理を語ります。 私は彼を前にすると神性を感じ、ひれ伏したくなってしまうほどです。 ですが文字通り彼は様々な真理に充満されながら それを統合することができません。 かろうじて病気という形をとってこの世に存在しています。 そして彼の語る言葉の多くはほとんどの人には理解できないのです。 私の周辺にはいつも美しい真実と厳しい現実が取り巻いていました。 私はその両方に畏敬の念を抱きます。 すべてが私を育ててくれました。 私は以前、人生をまるごと棒に振ってもおかしくないほどの 恐怖心や猜疑心、悲しみや恨みや怒りを抱えていました。 大人として人生をスタートさせてみると それらの想念は現実的な力を発揮し始め、 私の人生を悪夢へと導きました。 私は一日のほとんどの時間を恐れとともに過ごし その思いは実現という形で私の人生を彩りました。 そんな時出会ったのが、先日紹介した本(人類を救う治療法)だったのです。 そこには意識の仕組みや、想念が形になる(実現する)仕組みがかかれており、 私の人生がまさにその法則どおり、実現しているということに心底納得がいったのでした。 そして私が願って、そしてしっかり実行したなら その時点での私の人生そのものであった 『悪夢の方程式』を『幸福の方程式』に書き換えることが可能だとわかったのです。 そこで私は宇宙(神)との約束をかわしたのです。 私の魂の理想は神(大いなるもの)であり、 私はその理想を生きます。 そして私は自分の本当にやりたいこと(魂の意思)を通して この世界に奉仕する人生を『選択』します、と。 その後私の人生は本当に怒涛のごとくダイナミックに変化を遂げます。 けれど、平和や安泰がすぐに訪れたわけではありません。 ほとんどが戦いでした。正直のところ。 ただ、決定的な違いは『私は呪われた(ような)運命におびえながら従う人生を捨て 魂の理想に向かって自分で書き換えた人生を生きた』という実感です。 その道すがら私を支えていたのは、いつの日か 『ほうら、あんなにひどい逆境からだって私はできたよ! みんな、そう望むなら、できるよ!』と 一点の曇りのない心でみんなに伝えたいという儚いビジョンだけでした。 私は本当に幸せになりたかったし、みんな、幸せになってほしかったのです。 私の言う幸せになる、という意味は恐れからの完全なる自由であり 自分の人生の創造主たるパワーの完全な使い手となるということです。 今年に入って私の戦いの日々はある段階を超えたようです。 今はっきりとわかるのですが、私が霊的に高くなったとか悟ったとか そういうことではありません。 人間力がある程度育って、自も他もある程度受け入れられるようになり 距離感を学び、何かにつかまらずとも立っていられるようになり、 取捨選択を恐れないようになってきたところで ようやく己の人生を本格的に奉仕に生かせる時期が来たようだという感じです。 これまでの導き(肉体あるなしすべての存在)に感謝します。 導いてくれたにもかかわらずさらにねぎらってくれる存在たちに感謝します。 今回のアチューメントという形で象徴されるしるしに感謝します。 アチュはある意味手っ取り早いし手軽なスキルのようにも見えます。 けれどこれはとんでもなく深遠な儀式です。 末筆ですが、私にとってとても信頼できる人間力をお持ちの セラピストでありアーティストであるまき貝さんに この儀式を執り行っていただけたことに感謝をこめて。 みなさんのおかげでただいま上昇中!! 人気Blogランキングに参加しています。一日1クリックで応援よろしくお願いします(^^)/~ ここをクリックね~!