昨日は『ヒプノセラピストのための講座』をさせていただきました。
まだメニューに載せていませんが、初回からちょうど一年経ったことを、受講生さんから教えていただきました。
本当に、どれほどのことを一緒に乗り越えてきたかという気持ちで、講座中にも申しましたが、私の魂に刻まれる記憶の中でも何本の指かに入るほど貴重な体験だったように感じています。
私の全力を全身で受け取ってくださったお二人の受講生さんとのつながりは奇跡としか言えないほどの、感謝で埋め尽くされています。
「生徒さん増えましたか?」と以前聞かれたときは「いえ、募集もしていないし、もう充分満足、という気持ち」とお答えしました。
今一年を過ごして何となく描いているのは、一年にお二人くらいに、じっくりとお伝えできたら素晴らしいかもしれない、などと浮かんでいます。私に覚悟と準備ができたらまた、ここにお伝えしたいと思います。
昨日のたくさんのお話の中で、自分がしゃべったことを少し書かせていただきます。
今は、癒しにかかわるお仕事をされたり希望なさる方がとても増えました。そしていきなり開業されるという方も多い気がします。
開業するって、どんな仕事でもそうだと思うのですが、そのための準備も修行も必要です。
資格を取ったら開業できる、みたいなことは断じてないし、もし開業して宣伝がうまくいって、お客様がいらして、セッションができたとしても、結局はそこで何が起こるか、ということだけが重要です。そこで何が起こるか。
起こったことを双方が心から喜べるのであれば、その喜びは循環します。
私の口から出たのはこうです。
「どんなものでも、中身と飾りがあるとすれば、中身のほうがちょっとだけ勝ってるほうが絶対かっこいいの。
飾りのほうが上等だと、それだけで全部が死んでしまう。
結局中身の大事なものが伝わらない。だからそれは生きないの。
宣伝もそう。衣装もそう。たとえば役者さんの演技は、技術より情熱がちょっとだけ勝ってると感動する。逆だとつまんない。」
この役者の演技のたとえは、数十年前の、芝居をやっていたころからずっと思っていたことです。誰と誰でどっちがうまいか、みたいな比較って本当に意味がないんですよね。
何かを伝えるとき技術はなくてはならないけれど、それが本当に表現したいものの従者となっていなければその被造物は生きたエネルギーとして人に届かない思います。
宣伝がとってもうまくて一時的に話題やブームが来ても、人の奥に届くものがなければ過ぎ去っていくだけ。しかも去っていく道すがら、その風は人の心を荒らして、本当に大切なものを蹴散らして過ぎて行ったりします。
みんながいいと言っているから、それはいい。そういう価値観が、そういう荒れた宣伝効果を作り出します。
誠実さ、正直さ、本物、という不器用な種はその風雪を耐え忍ばなくてはなりません。とても悲しいことです。
もし自分とそして相手の本当の幸せのために仕事をするなら、神も宇宙のエネルギーもどんどん後押ししてくれます。それが神の望むことそのものだから。
もしそうしたいのなら、神の望まないものをどんどん手放していくことが成功の秘訣です。
ですからいつだって、自分の中身をよく見守ることです。外側に見えるものはただ、いつも自分の中身を映し出しています。すべては内側にある。それは真実です。