究極の意識の仕組みを学ぶ奇跡の講座、本当にやってよかったです。受講してくださった皆さん、受講してくださっている皆さん、受講を選んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。
第一期受講者さんの中で、癒しに関わるお仕事に携わることを目標とされていた方が軒並みでデビューされ前進なさるお姿など、究極の奇跡を見るようでした。
すべては心なのです。心が私たちを創造し、そして確実に導くのです。
講座の中で交わした言葉がいつも私を励まし後押ししてくれます。
前回の記事でご紹介した山田美那子さんのブログにある
『相手の方のお話から引き出された私の言葉は、そのまま、私が今、受け取るべき言葉だったことに気づきます』
というのが、本当に真実だと思うのです。
つまりすべてはひとつだから、誰かの必要は自分の必要だし、誰かの癒しは自分の癒し、誰かの学びは自分の学びなのです。
もしそうでないなら、癒すという仕事は人間にはできない仕事です。
癒しはこの世の法則を超えたところでの愛のやり取りですから、完全に循環するものです。
私たちが勝手に切り取って部分的に使うと不調和が起こり虚が混ざりこんできます。
虚は真実に対抗するから、神の癒しの邪魔をしてしまうんです。
ヒーラーは神の邪魔をしないで神に使ってもらうのが仕事なので、神のやり方をなるべく(完全なる神は完全には理解できないので)理解し、自我のやり方を熟知し(それは自分をよく学べばできます)てそれにはまらないでいることが大事だと私は思います。
しかしながら今日思うのは、人が幸せになることは、幸せへの道を歩くことは、
今の私が思うより更にずっと、ずっと簡単なことなのではないか、ということです。
多分、自分はたくさん訓練を受けたのです。
幾通りもの自我の罠にたくさんはまり、幾通りもの罠を抜け出すように。
それだけたくさんの罠抜けに対応できるように。
それを自分の魂が恐らく、希望したのだろうな、と思います。
自分ほどの苦を誰にも味わってほしくない、という気持ちが、苦しい時の自分の中にいつもあったことを思い出します。
そしてもう生きているのもつらい時には、でもこれで人生を終えてしまったら同じ苦しみの人に大丈夫だと言えなくなるという思いが何度も自分を食い止めました。
そして自分を癒す過程では、そういった背負った思い自体が自我なのだとすべてを否定したこともあります。
でも究極の心の仕組みは「(神への)わずかな意欲」さえあれば、私たちは(神に、つまり愛に)戻れると教えます。
ちょっとでも、変わりたい。もうちょっと、前に進みたい。
(でもどうやって?)
「でもどうやって?」への答えをすべての人は持っています。
すべての人が持っているものを、思い出し、つながり、使う。
そうしていけば過去のやり方は勝手に廃れていきます。
思い出し、つながり、使う。
それを助け合ってやりなさい、というのが神の意図です。
だから、そう決意するだけでいいんです。
神の意図の輪である真の自己を思い出し、選ぶこと。
毎日、毎瞬、思い出していきたいものです。